『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

【創作】エイプリル・パンケーキ

春が始まりの季節だなんて、いったい誰が決めたのだろうとクマは思った。

別に何も始まらなくったっていいし、行動を起こすことが全てではないとクマは考えている。

そもそも、何かアクションを起こすから物事は変化するし壊れていってしまうのだ。

良い意味でも、悪い意味でも。

 

クマは内省的でどちらかと言うと哲学向けタイプのクマなので、日常に何かが起こるとすぐに考え込むクセがある。

 

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「新しい恋人が出来たんだ」

 

友人から突然にこんな告白をされたのは、先月半ばのある火曜日のことだった。

彼とは昨年の秋にひょんなことから意気投合して以来、クマと人間の垣根を超えて親しく付き合っている。

知り合ったタイミングがちょうど同じ境遇だったこともあり、打ち解け合うのも早かった。

彼は人間にしてはなかなかに出来が良く、また穏やかな性格をしてもいる。

隣町に住む熊吉のように突然部屋に遊びに来て、黙ってお手製の高級ハチミツを盗んでいくこともない。

 

人間にしては珍しく信頼のおけるその友人の彼が言うのには、なんでもバレンタインに彼女から告白されたのをきっかけに仲良くなり、ホワイトデーに交際を始めることにしたらしい。

なんて安直な男なんだ、と思ったけれどそれは言わずに黙っておいた。

時には傍観する優しさも友情には必要だ。

 

彼は新しく出来た恋人がいかに自分好みで可愛いかを延々と力説し(女優の福原遥に似ているらしい)、褒めたたえ、のろけ、機関銃のように3時間近くも喋り倒し、気が済んだところで「今度君にも紹介するね」と頬を上気させながら両手をぶんぶん振り回して帰って行った。

クマは、彼のそんな姿を見えなくなるまでぼんやりと見送った。

 

彼の新しい恋人は今「浪花男子」とかいう7人組アイドルグループに大ハマりしているのだそうだ。

今度ライブに行こうと誘われている、という話を帰り際に嬉しそうに報告してくれた。

実にハッピーなことだ。

 

しかしクマは、友人の以前の恋の破局原因を知っているだけに嫌な予感しかしなかった。

当時、彼の元恋人は9人組アイドルグループ「ZnowMan」に夢中で、彼らのライブに出かけて以来、熱を入れ過ぎて音信不通になったのだった。

いつかの夜、ふたりでハニーリキュールのグラスを傾けながらそのことについて語った時の彼の哀しげな瞳をクマはまだ忘れていない。

でもクマはそのことには一切触れず、ニッコリ笑って友人を祝福しただけだった。

クマもまた彼と同じ時期に似たような体験をしているので何も言えなかったというのもある。

 

恋は誰しもをその瞬間の中に永遠に閉じ込めてしまう。不思議なことに。

そして、そう時間を置かずに友人が肩を落として自分の元を訪れることをクマはなんとなく直感していた。

 

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間接照明だけの暗いほら穴の部屋を出ると、外は春の雨で地面が黒く湿っていた。

淡いピンクの花びらが、静かにひらひらと散り始めている。

 

ひと眠りしたら、桜のパンケーキでも作ることにしよう。

クマはひとつ伸びをすると、またのそのそと自分の部屋に戻って行った。

 

変わらないことにもまた、幸せはある。

 

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