『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

栗ごはん、そして風鈴をしまったこと

9月に入りましたね。

先月の終わりに、
我が家では栗ごはんを食べました。
栗ごはん、いいですね。
ほのかな甘みと、ほっくりした食感。
皮をむくのがちょっと大変だけど、
炊きたての栗ごはんを食べると、
ああ今年も秋がやって来たなぁと、
なんだかしみじみします。
ちょっと嬉しいような、
ちょっとホッとするような。


そして先日、ようやく部屋に掛けていた
風鈴をはずしました。
窓から風が入るたび、ちりん、と
可愛らしい音で小さな夏の涼を
届けてくれていた愛しい風鈴とも
来年までお別れです。


鮮やかな赤いアサガオの花が
絵付けされたガラス製のその風鈴は、
20数年前に友人とお揃いで買いました。
夏の始まりに箱から取り出すたび、
そして夏の終わりにまた箱にしまうたび、
一緒に買い物したあの日の天気や、
並んで歩いた代官山の街並みや、
風鈴を買ったお店の素敵な雰囲気などが
ぱっと脳裏に立ち表れて、ちょっとだけ
センチメンタルな気持ちになります。


その友人とはもう長らく会っていないけれど、
風鈴を手にするたびに、彼女のことを
ふと思い出します。
一緒に笑い、一緒に泣き、いろいろな
場所で遊び、おいしいご飯を食べ、
10代から20代にかけてのキラキラと
輝くような時間(今思うと)の中で、
たくさんのことを共有してきました。


遠く離れてしまったけれど、
元気でいるかな、どうしているかな。
風鈴の向こうに見える空に、今でも
時折思いを馳せます。


そういう思い出がつまった物を、
今でも長く大事に所有していること。
季節が巡るたびにそれを自在に
取り出して、懐かしみ愛おせるということ。
そういうものが自分の身近にあるということに、
大人ならではの贅沢さと幸福を
感じているこの頃です。