『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

ヨガについて、あれこれ

ヨガが、好きです。


ゆるく、細々と続けて、なんだかんだで
もう10年近くが経とうとしています。


ゆったりと呼吸をし、気持ち良く体を弛緩させ、
自分の身体と心だけを静かに見つめる。


体のことだけに偏らず、
かといって精神世界一辺倒でもなく。
単なるエクササイズとは少し違う、
興味深い世界がそこにはあります。


そんな世界に魅入られて、この晩秋から
RYT(全米ヨガアライアンス)200時間コースという、
少々長い名前の資格取得を目指すことに決めました。


「今日はこのぐらいでいいか」と好き勝手に
アーサナ(ポーズ)をしていた時とは違い、
より効果を高めるための正しい形・正しい
アーサナを覚えるのは肉体的にわりとヘビーです。


そして心の奥底にあるものと向き合って、
その扉を開くために自分の感情や経験を
知り合ったばかりの人たちにオープンにして
シェアしていく作業というのは、
場合によってはかなり恥ずかしかったり
苦しいもので(実際泣いてしまう人もいる)、
なかなかの勇気が必要です。


でもそれは同時に自分を軽くするための
解放でもあって、自分以外の誰かにそれを
見守っていてもらう、というのは存外に
包み込まれているような温かさがあり
心地良いものだなと、今は
個人的に
そう感じています。


「美しいものを見て、
美しいものを聴きなさい。
そして美しい言葉を話し、
滋養のある美味しいものを食べなさい」


私に最初にヨガを教えてくれた先生の言葉です。
このブログを始めるきっかけになった
「縁を度す」という言葉とともに
今でも胸に深く刻まれています。


何をもって「美しい」とするかは千差万別で、
人それぞれではありますが、私はそれを
ヨガで見つけられたらいいなと思っています。


そして見つけたり得たものを少しでも多くの人に
伝えることができたらいいな、と。
この場所で。もしくは縁のある違うどこかで。


世界にはさまざまなものが溢れていて、
美しくないものもたくさんたくさんあるけれど、
夜空に浮かぶ星を集めるように
煌めくものを大事にしていきたい。
だからこそ世界は美しいのだと
そんなふうに思います。


太陽礼拝をした後に寝入ってしまい、
気づけばヨガマットの上で
目覚めたクリスマスの朝。


聖なる日に思うのは、
どうぞ生きとし生けるすべてのものに
幸せがありますことを。

皆様どうぞ、素敵なクリスマスを
お過ごしください。


Om.

ポケットの中の宇宙【創作】

あなたの手が わたしの手を取り

そっと コートのポケットに引き入れる

そこは 温かく 安全で

とても心地の良い場所だ

舗道には 無数の葉っぱ

通り過ぎてく バスの音

ほころんでしまう 唇に

必死で 平静をよそおわせ

さくさくさく、と わたしたち

朝7時の道を歩む

https://instagram.com/p/-EcfBvjTM7/
ある朝。出勤前の道



「1人やん!」と誰かからつっこみが入りそうですが
なんとなくのイメージで。
朝と舗道と落ち葉の写真。

数をこなす

「質の良い映画に出会うためには、
数をこなさないとなんですよね」。


ある朝。
テレビ番組を見ていたら、
ふとこんな言葉が耳に入ってきました。
個性派と最近注目されている、
ある若手俳優さんの言葉です。


彼はとても映画好きで、
どんなに仕事が立て込んで忙しい時でも
ちょっとした隙間時間を見つけては
映画館まで足繁く通っているようで。


「よく行けますね」
「よほど映画がお好きなのですね」
感心と驚きを交えながらのアナウンサーに対して
彼が発したのが前述のひと言でした。


確かに、そう。
心ときめいて身体中の細胞が躍り出すような、
もしくは胸に深くずしんと響くような、
自分にとって「質の良い」映画というのには、
そうそう簡単には出会えない。


やはり目の肥えた感性の高い人でもそういう
ものなのだなぁとどこか安堵するような、
目からウロコが落ちるような、そんな
気持ちになったのでした。
むしろ目が肥えて感性が高いからこそ、
余計にそうなのかもしれない。


そしてそのことについてしばらく
思いを巡らせながらふと、それは
映画のことだけではないのだろうなぁという
思いに行き当たったのでした。

様々なことに通ずる、ある種の真理。


自分にとってほんとうに「好きなもの・好きな人・
高みを目指したいもの」に出会うためには、
まず自分からアクションを起こし、
数をこなしてゆく必要が
あるのかもしれないですね。


出会って、見て、感じて、
そこから学んでゆく、磨いてゆく。
そこで初めて自分にとってほんとうに
必要なものが与えられるのかもしれない。


“頭も、身体も、使えば使うほど
強くなる。賢くなる”
ある本で読んだ一文がふっと頭を
よぎった一瞬でもありました。


じっと待っているよりも自分から
出会いに行くほうが、ずっと勇敢で
幸福な早道なのかもしれません。
そこから、あなたの人生は好転していく。
もしそうならなかったとしても、
きっと後悔は少ない。


ちなみに冒頭で紹介した若手注目俳優さんとは、
柄本佑(たすく)さん。
父の柄本明さんそっくりの、奥底に深い光を
秘めた細い目を持ち、派手ではないけれど
強く惹きこまれる演技をする素敵な役者さんです。


動ける時には、動こう。
そして必要なものに出会いに行こう。
たとえ期待通りではなかったとしても、
いつか出会える、
見つけられると信じて。

そんなことを思った、
ある朝でした。

「数をこなす」。
なかなか、奥深い言葉ですね。


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fishmans

人にはしばしば
「なんとなく気持ちや体に力が入らない」
ということが起こります。


それははっきり思い当る原因が
あることもあれば、ないこともある。
短い期間で浮上できることもあれば、
長く潜伏期間に突入して
抜け出せないこともある。


それは嵐や台風に遭うみたいな
ものなのかもしれません。
避けようがない。
やり過ごすしかない。


だから人は、それぞれの方法で
その災難をできるだけ小さく
とどめようと努力します。


おいしい物を食べて元気をつけたり、
好きな人と会ってたくさん話をしたり、
たっぷり眠ったり。


私の場合、よくfishmans
音楽を聴きます。


肩の力が抜けた声。
少しもの哀しいメロディ。
でもどこか静かに明るくて、楽観的。


今朝も、洗濯物を干しながら
久しぶりにfishmansを聴いていました。
白く曇った空の下、靴下をピンチで止めながら、
ヴォーカル・佐藤君の
脱力した声に合わせて歌います。


“Thank you,Thank you
for my life

Thank you,Thank you
for my life

woo yeah

いまは何もする時じゃないよ
いまは何もする時じゃないよ

この静けさが 力をくれる”


じたばたしながら。
時に流れに身を任せて。

心の中の嵐や降り止まない雨が
いつかまた青空に戻るのを
ただ静かに待つ時間が大切な時もありますよね。



Thank You

大事なものは、細部に宿る

“もし職場に郵便物が届いていたとして、
あなたがそれを開封する係だとしたら
どんなふうに開けますか?”


もう何年も前、無職で仕事を探していた時に
面接を受けた会社で、そんな質問を
されたことがありました。

丁寧に開けますか、それともあまり考えず
びりびりと開けますか、と重ねて聞かれたので、
ああ、それなら。
即答で「丁寧に開けます」と答えました。

その時の面接官は2人でした。
主任のような若い女の人と、
幹部らしい年配の男の人。

私がそう答えると一瞬の沈黙が流れ、
2人はやれやれ、といった表情で
苦笑すると、女の人のほうがこう言いました。

大事なのは封筒ではなくて中身でしょう。
余計なことに時間はかけない、何を優先するか
瞬時に見定めることが、社会にとっても
会社にとっても必要なことなのですよ、と。

これからよく覚えておいた方がいいね。
女の人に重ねるように、年配の男の人が言いました。

なるほどと思いつつ、私はどこか
納得がいかなかった。

わかるけど、でも。
でも、でも、でも!

悶々とした気持ちを抱えたまま帰宅をして、
その数日後、私は面接に落ちました。

面接を受けたその日にうすうす結果はわかっていたし、
とくに残念とも思わなかった。
未練も後悔もありませんでした。
むしろお互いのために良かった、と思ったぐらいで。

確かに無駄を省いて効率を上げ、
少しでも利益を増やすのは、会社として
大事なことかもしれません。

ただ、どんなに些細なことでも、直接の結果に
つながらなくても、心を込めて丁寧に仕事を
行うことだって、大事なことではないのかな。
そんな疑問が頭をもたげます。

そういうゆとりが、大きなことに
繋がっていくことも、きっとある。
だって封筒を乱暴に開けたら、
中身がしわになったり
破けたりすることもあるでしょう?

同じ質問を今されても、
やはりあの時と同じ答えを選択したい。
そういう人でいたいと思います。
丁寧に、余裕を持って。

無駄を省くことは大切なことだけど、
省きすぎてしまったら
大事なことも省けてしまう。
そんなふうに思うのでした。

そして仕事の大抵のことは、
そんなちまちまとした時間
を切り詰めることよりもっと
大胆な工夫次第で劇的にどうにかなるもの。

理想通りにいかない日だって
もちろんあるけれど、
せめて気持ちだけでも。姿勢だけでも。

大事なものは、細部に宿る。
そんなふうに信じて実行できる
人間でありたいものです。

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「ベティ・ブルー」

『ベティ・ブルー』という映画が好きです。

1986年に公開された、フランス映画。
ベティという感受性の強い女の子と、
ゾルグという作家志望の男の人。
副題に確か「愛と激情の日々」とあって、
文字通り、二人の激しい愛を描いた物語です。

相手のすべてを呑み込んで、
焼き尽くしてしまうような。
そしてそれゆえに苦しくて、
痛々しいような。

でもどこか静謐で、やさしさがひっそりと
漂ったとても美しい映画です。

アパートで1人暮らしをしていた頃、
レンタル屋で借りてこの映画を観ました。
以来、私の中でとても大事な映画の一つになっています。
今でも時々ふと思い出してはコマ切れに観てしまう。

その映画の中で特に好きなのが、
ベティが20歳の誕生日をゾルグに祝ってもらうシーン。

少し小高くて見晴らしの良い丘に
ベティを連れて来たゾルグは、
彼女を丘の上に立たせます。

そして遠くに見える城壁や、大きな岩や、
近くに可愛らしく佇む石造りの家を見せます。

ゾルグはベティに向かって言う。
「すべて君のものだよ、ベティ」

ベティはめくるめく幸福に満ちた目で
彼を見つめ、問いかけます。
この光も、鳥のさえずりも、
自分を見つめるゾルグの目も唇も、
自分のものかと。

穏やかな微笑みを浮かべながら
ゾルグはそっとウィ、と答えます。


この映画は、私の中で秋の映画です。
二人は常に薄着だし、公開の時期も
この季節ではなかったはずなのに。

たぶん、全編を多く彩る藍に近い深い青と、
少し物悲しい音楽が「秋」を
連想させるのかもしれません。

とても美しい映画です。
こんなふうにぴったり1つの対でありたいと
切望するように恋人を愛せることが、
怖くもあり羨ましくもあり。

でも人の心のどこかしらには、ひっそりと
潜んでいるのかもしれないですね。
私やあなたにとっての、ベティやゾルグが。


青く澄んだ秋空が、とても気持ちの良い今日です。