『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

fishmans

人にはしばしば
「なんとなく気持ちや体に力が入らない」
ということが起こります。


それははっきり思い当る原因が
あることもあれば、ないこともある。
短い期間で浮上できることもあれば、
長く潜伏期間に突入して
抜け出せないこともある。


それは嵐や台風に遭うみたいな
ものなのかもしれません。
避けようがない。
やり過ごすしかない。


だから人は、それぞれの方法で
その災難をできるだけ小さく
とどめようと努力します。


おいしい物を食べて元気をつけたり、
好きな人と会ってたくさん話をしたり、
たっぷり眠ったり。


私の場合、よくfishmans
音楽を聴きます。


肩の力が抜けた声。
少しもの哀しいメロディ。
でもどこか静かに明るくて、楽観的。


今朝も、洗濯物を干しながら
久しぶりにfishmansを聴いていました。
白く曇った空の下、靴下をピンチで止めながら、
ヴォーカル・佐藤君の
脱力した声に合わせて歌います。


“Thank you,Thank you
for my life

Thank you,Thank you
for my life

woo yeah

いまは何もする時じゃないよ
いまは何もする時じゃないよ

この静けさが 力をくれる”


じたばたしながら。
時に流れに身を任せて。

心の中の嵐や降り止まない雨が
いつかまた青空に戻るのを
ただ静かに待つ時間が大切な時もありますよね。



Thank You

大事なものは、細部に宿る

“もし職場に郵便物が届いていたとして、
あなたがそれを開封する係だとしたら
どんなふうに開けますか?”


もう何年も前、無職で仕事を探していた時に
面接を受けた会社で、そんな質問を
されたことがありました。

丁寧に開けますか、それともあまり考えず
びりびりと開けますか、と重ねて聞かれたので、
ああ、それなら。
即答で「丁寧に開けます」と答えました。

その時の面接官は2人でした。
主任のような若い女の人と、
幹部らしい年配の男の人。

私がそう答えると一瞬の沈黙が流れ、
2人はやれやれ、といった表情で
苦笑すると、女の人のほうがこう言いました。

大事なのは封筒ではなくて中身でしょう。
余計なことに時間はかけない、何を優先するか
瞬時に見定めることが、社会にとっても
会社にとっても必要なことなのですよ、と。

これからよく覚えておいた方がいいね。
女の人に重ねるように、年配の男の人が言いました。

なるほどと思いつつ、私はどこか
納得がいかなかった。

わかるけど、でも。
でも、でも、でも!

悶々とした気持ちを抱えたまま帰宅をして、
その数日後、私は面接に落ちました。

面接を受けたその日にうすうす結果はわかっていたし、
とくに残念とも思わなかった。
未練も後悔もありませんでした。
むしろお互いのために良かった、と思ったぐらいで。

確かに無駄を省いて効率を上げ、
少しでも利益を増やすのは、会社として
大事なことかもしれません。

ただ、どんなに些細なことでも、直接の結果に
つながらなくても、心を込めて丁寧に仕事を
行うことだって、大事なことではないのかな。
そんな疑問が頭をもたげます。

そういうゆとりが、大きなことに
繋がっていくことも、きっとある。
だって封筒を乱暴に開けたら、
中身がしわになったり
破けたりすることもあるでしょう?

同じ質問を今されても、
やはりあの時と同じ答えを選択したい。
そういう人でいたいと思います。
丁寧に、余裕を持って。

無駄を省くことは大切なことだけど、
省きすぎてしまったら
大事なことも省けてしまう。
そんなふうに思うのでした。

そして仕事の大抵のことは、
そんなちまちまとした時間
を切り詰めることよりもっと
大胆な工夫次第で劇的にどうにかなるもの。

理想通りにいかない日だって
もちろんあるけれど、
せめて気持ちだけでも。姿勢だけでも。

大事なものは、細部に宿る。
そんなふうに信じて実行できる
人間でありたいものです。

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「ベティ・ブルー」

『ベティ・ブルー』という映画が好きです。

1986年に公開された、フランス映画。
ベティという感受性の強い女の子と、
ゾルグという作家志望の男の人。
副題に確か「愛と激情の日々」とあって、
文字通り、二人の激しい愛を描いた物語です。

相手のすべてを呑み込んで、
焼き尽くしてしまうような。
そしてそれゆえに苦しくて、
痛々しいような。

でもどこか静謐で、やさしさがひっそりと
漂ったとても美しい映画です。

アパートで1人暮らしをしていた頃、
レンタル屋で借りてこの映画を観ました。
以来、私の中でとても大事な映画の一つになっています。
今でも時々ふと思い出してはコマ切れに観てしまう。

その映画の中で特に好きなのが、
ベティが20歳の誕生日をゾルグに祝ってもらうシーン。

少し小高くて見晴らしの良い丘に
ベティを連れて来たゾルグは、
彼女を丘の上に立たせます。

そして遠くに見える城壁や、大きな岩や、
近くに可愛らしく佇む石造りの家を見せます。

ゾルグはベティに向かって言う。
「すべて君のものだよ、ベティ」

ベティはめくるめく幸福に満ちた目で
彼を見つめ、問いかけます。
この光も、鳥のさえずりも、
自分を見つめるゾルグの目も唇も、
自分のものかと。

穏やかな微笑みを浮かべながら
ゾルグはそっとウィ、と答えます。


この映画は、私の中で秋の映画です。
二人は常に薄着だし、公開の時期も
この季節ではなかったはずなのに。

たぶん、全編を多く彩る藍に近い深い青と、
少し物悲しい音楽が「秋」を
連想させるのかもしれません。

とても美しい映画です。
こんなふうにぴったり1つの対でありたいと
切望するように恋人を愛せることが、
怖くもあり羨ましくもあり。

でも人の心のどこかしらには、ひっそりと
潜んでいるのかもしれないですね。
私やあなたにとっての、ベティやゾルグが。


青く澄んだ秋空が、とても気持ちの良い今日です。




旅というものについて

土地に強く惹かれて旅に出る、ということが
何年かに一度たまにあります。
とくに理由もなく、目的もなく、ふっと。

伏線のようなものはいくつかあったものの、
今年の夏ごろから急にじわじわと
名古屋に行きたいと思い始め、
それで先日行ってきました。

最初は小さな種のようだった
「行ってみたい」というその気持ちは、
日ごとに大きく、強くなり
まるで雪だるま式のようにふくらんで
いつしか「行かなきゃ」という
見えない何かに引っ張られるような
性急な気持ちで、ある寒い秋の夜に
高速バスに乗り込んだのでした。

名古屋は素敵な土地でした。
明るく、元気で、パワーに溢れていて。
人は親切だし、文化的で、食べ物もおいしい。
お洒落な人たちもたくさん町で見かけました。

もちろんそうじゃない名古屋もたくさんあるだろうし、
これはたった数日の旅で垣間見ることができた
私だけの名古屋感なのだけど。


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旅の2日目に、熱田神宮に行きました。
1900年以上の歴史を持つ、
とても大きな神社です。

祝日で、先勝ということもあって
午前中は結婚式や七五三の家族で
境内はおおにぎわい。

やわらなか木漏れ日に目を細めながら
長い参道といくつもの鳥居を抜けて、
本殿の前へ。
大切なお願いを1つだけ、してきました。

もっと厳粛で、思わず居住まいを
正さずにはいられないような雰囲気を想像していましたが、
実際の熱田さんはその場に立つと
とても穏やかで優しい気配を持つ
やわらかな神社でした。
佇んでいると、とても居心地が良かった。

神宮参拝の後。
身が厚く、ほっくりとやわらかいひつまぶしを食べ、
名古屋城を見物した後に、栄生(さこう)という町に行きました。

父方の祖父が、晩年を過ごした町です。
私は祖父に会ったことがありません。

放蕩の限りを尽くして家を追い出され、
世間では「二号さん」と呼ばれる女の人と長く暮らし、
最後はパチンコ屋で遊んでいる最中に倒れて亡くなったという、
ある意味波乱と激動に満ちた生涯を送った祖父。

ちょっとくたびれて古びたようなその町は、
でもどこか肌に馴染んだ服のように
心地良いくったり感があり、
なかなかに住み良さそうでもありました。

祖父はこの町でどんなことを感じながら生きていたのだろう。

駅前のコメダ珈琲店でブレンドとシロノワールを食しながら、
そしてキャリーバッグをガラゴロいわせながら、
そんなことを考えて夕日のオレンジと夜の藍が混じった空の下、
栄生の町を後にしたのでした。

祖父の血と遺伝子は私の中の一部に確実に残り、
存在している不思議さに思いを馳せながら。

思い返せば、こうして私が何かに憑かれるように
旅に出るのは、大きな何かを失った時という
タイミングが多いように感じます。

失った何かを埋めるように、そして
その失った後の新しい日々をまた元気に進めるように
私は旅に出るのかもしれない。

そういえば熱田さんには三種の神器と呼ばれる
草薙御剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られているのだとか。
スサノオノミコトが大蛇を退治した時に
切れた尾の一部が刀になったという伝説の剣。

霊験あらたかな神剣にスパッと何かを切ってもらい、
自分のルーツに立ち戻り、また新たな道を進んでゆく。

この名古屋旅は、もしかしたら
熱田さんと祖父に呼ばれた
旅だったのかもしれない。

名古屋の町並みや出会った人たちのことを
温かく思い出しながら、今、そんなことを考えています。

非日常が、日常にパワーをくれる。
日常が、非日常をより新鮮に豊かに見せる。
だから私たちには、その両方の世界が
必要なのかもしれません。

旅は、良いものですね。
今さら言うまでもなく。
今度突き動かされるように旅に出るのは
何時なのだろう。
何処なのだろう。
考えると、とてもわくわくしてきます。



あなたは心に残る旅を、してますか。
そしてそれは何処なのでしょう。
いつかお話できるといいですね。


あてのないふわふわしたことを思いつつ、
今日はここまで。


https://instagram.com/p/8vQvDhjTBR/
さ、張り切って今日も歩くよ。#名古屋旅 #2日目 #NAGOYA #出発 #start

上質でいようとする心意気

マイナスとプラス。
同じ物事には両方の側面があって、
それを受け取る人の心のフィルターによって
現実や世界は大きく変わっていく--


そんなふうに意識するようになってから、
私の中に流れる時間は以前に比べて
幾分か風通しの良いものになってきたような
気がします。


そのきっかけとなったのは、
とある本だったり、
今年に入って経験した久しぶりの
激しい恋(当社比)だったり、
長く続けてきたヨガだったりと、
様々な要因が考えられるのだけど、
とにかくそんなふうに多少無理してでも
明るくて楽しいことを見つけ出して
過ごすうちに人生は多少なりとも
うまく好転している、そんなふうに
感じています。
多少のことには動じなくなったし、
何かが起こっても以前に比べて
激しく動揺することは少なくなってきた。


でもね、目をそらして見ないようにしているだけで
自分の中のどろりとした感情は決して消えていないし
鈍感になったふりをしている分、
溜まっていることに気づかなくなっていることも
多分にあるのです。


それはある日、堤防を壊し、
堰を切ったように流れ、
とめどなく溢れ出し、
そうなるともう、
自分でも抗えないぐらいの強い
衝動が起きてしまう。


ああ、これはダメだなと思いました。
ちゃんと負の部分も認めて受け入れていかなくては、と。
それも含めて自分なのだから、と。
上手に小出しに手放すようにしていかないと、
光の部分だけ見ていても人はいつか破綻してしまう。


私がしたことといえば、
突然に猛然と誰かと話がしたくなって
発作的に携帯電話をつかみ
心許せる何人かに電話をしたことぐらいで、
けして誰かを傷つけたり悲しませたり
するようなことではなかったのだけど、
でも、なんだか恐ろしかった。


強迫観念のように指が無意識かつ性急に動いていたし、
コール音が鳴り続けるたびに涙が止まらなくなっていたり。
自分が自分じゃないような、
ひどく心もとなくて危うい感覚。


結局、その時は誰にも電話が繋がらなくて、
とりあえず「外に出よう」と思い立って、
着替えてお化粧をして散歩がてらカフェに
向かっている途中で件の友人の1人から
折り返しの電話が入り、
心の中にできた大きな氷塊は
ゆるゆると溶けていったのだけど、
ほんとうに紙一重で危なかったな、と
ひやりと肝を冷やしたのでした。
何が危なかったのかは、自分でもまだ
うまく説明ができないのだけど。


まだ大好きなのにもう会えない人のことや
仕事のあれこれや、家のことなどなど、
見ないように蓋をしてきたものが
何の前触れもなしにどばどばどばっ…と
溢れだしてしまったのでしょうね。


マイナスもプラスも全て見つめて、認めて、
解放する。
考えすぎに気づいたら、まず体を動かす、深呼吸する。
大事なことだなと気づきました。
頭ではわかっていても、その渦中にいると
なかなか気づかない。


それともうひとつ。
人と人とは合わせ鏡であるので、
一方が不機嫌だったり理不尽な態度を
取ってきたりすると、
ついこちらも腹が立って反撃をしたくなったり
張り合ったりしてしまいがちだけど
本当にその相手に勝ちたいと思うなら
同等でいてはいけないということ。


挑発に乗ったり、相手の悪口を陰で言ったりしないこと。
口もとに笑みを浮かべていられるように努力すること。
それこそが本当に相手を打ち負かす唯一の方法だし、
自分自身が上に行くための良い機会だと思うのでした。


なかなかね、難しいけれど。
でもそう心がけるだけで、
そういう心意気を持とうとするだけで
人は変われるし、より上質な人間になれるような
そんな気がするのです。

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線路とコスモス#コスモス #線路 #秋のお散歩 #autumn #flower #cosmos

月と鳥【創作】

月に浮かぶ 鳥を見た。

黒くて 美しい鳥だ。

あの人も 見たろうか。

青い闇と 白い月。

あの鳥は 幾千もの時を越え

瞬間にのみ おとずれる

私たちの ただひとつの奇跡。 


・・・・・・・・・・・・・


今夜は、中秋の名月ですね。
月には不思議とミステリアスで心惹かれるものがあります。
静かなのに、波立つ。
美しいけれど、こわい。
あなたもどうぞ、美しい月に出逢えていますように。



※使用写真は引用です

「A2Z 」

「私は、たぶん、飛び付く速度が少しばかり早いのだ。
 そして、抱きしめる力が、強いのだ」

山田詠美 『A2Z(エイ・トゥ・ズィ』)



これは、恋の物語です。
大人だけれど、
大人であることを忘れてしまうほどに
度を失って恋をしている人たちの。


誰かを“愛している”と思う瞬間、人は自分と同じくらい相手も自分を想ってくれたらいいのにと思いがちです。同じ分量で。
バランスが真ん中になるぐらいに。


でもそうなることは極めて稀で、
もしそれが叶ったとしても、
その瞬間は永遠ではない。


だから不安になる。
寂しくもなる。
そして長く続かないことを知っているからこそ、
大人になるごとに人はその瞬間を
楽しみ尽くそうとする。
その術に長けるようになる。

幸せを長続きさせる秘訣は、
スピードとパワーなのかもしれない。
最初にこの小説を読んだのは
もうかれこれ15年前になるけれど、
冒頭で紹介した一文を読んだ時
雷に打たれたようにそう思いました。


最近また再読してあらためて思うのは、
それは恋のことだけではないということ。
人生においても、世界においても。


今、あなたにとって、
そして自分にとって
本当に必要なものは何なのか。
必要な人は誰なのか。
それを見極めるスピードと、
見極めたら離さない力強さが
求められているような気がします。


ゆっくりと、でものんびりとし過ぎないで、
考えていけたらいいなと思っています。


余談ですがこの小説の中で
好きなシーンの1つが、
夜に主人公の夏美とその恋人の成生が、
二人で電話しながら同じ月を眺めるところ。
「おいしそうだから」と、
二人一緒に“せーの”で月を食べるのです。


ふふ。可愛いでしょう?


恋をする楽しみを味わい尽くしたすべての大人たちに。
そしてこれからたくさんの恋が待ち受けているであろう恋愛予備軍の人たちに。


おすすめの一冊です。