『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

声の記憶

「親しい人が亡くなってまず
何が悲しいかって、その人の声が
聞けなくなることなんだよね」。


ある晴れた日の午後。
以前の職場で仲良くさせて
もらっていた先輩と久しぶりに会い、
カフェに向かって一緒に
歩いていた時のことです。
数カ月前に自身のお姉さんを
亡くされた先輩が、そんな話を
してくれました。


顔や姿は写真を見れば思い出せるもの。
でも声は、録音していれば別だけど
時間の経過と共にだんだん記憶が
薄れていってしまう。
それがひどく寂しいのだと、
先輩は言うのでした。


自分を囲む空間の中で、
親しい人の声が震動するということ。
そして、その震動を自分が
キャッチするということ。
さらに自分もまたその親しい人に向けて
声の震動を届けるということ。
それはライブのセッションにも似た、
その場限りの貴重な瞬間と時間と
音のやり取りであり、その「震え」が
あるからこそ、人は人の心を動かしたり
動かされたり、誰かとより強く
結びついていられるのかもね、
ということをカフェへの道すがら、
私たちはぽつりぽつりと話したのでした。


そういえば、ある統計によると
遠距離恋愛のカップルというのは
かなりの高確率で長続きしないのだそうです。
それは、距離や時間の制約による
スキンシップの欠乏もさることながら、
生の空間を通した声の
コミュニケーションによる減少も
大きな要因なのかもしれない、と
先輩とその話をしながら
ぼんやり考えたのでした。


目で見て、肌で触れて、耳で聞いて。
そうやって人は、自分の体の感覚を
使いながら誰かや何かの気配を感じ取り、
判断し、関係を密に築いていくのかもしれません。
意志の疎通は文字と文字だけで十分できる
ものだけど、それでも“ライブ”ほど
ストレートに強く響き、人の心に
印象付けるものは存在しないのかもしれません。


響き合う、音と音。
声と声。
セッションは、大事ですね。
私たちは知らず知らずのうちに
人生の中で誰かと音楽を
奏で合っているのかもしれない。


そして、自分が大切に思うその人と
同じ空間の中で声を響かせ合う時間
というものは、自分が思っている以上に、
存外短いものなのかもしれません。