『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

グラスと水

「いったい体と心は
どちらが先なのだろう?」
というようなことを、
最近よく考えています。


たとえば
心身のバランスを崩して
なんとなく不調な時。
たとえば
何かをしようと思っても
あまり気力がなく
ぼんやりとしてしまう時。


ちょっと体を動かすと
嘘のように単純に
気持ちが引き上がることが
あります。


それとは反対に、
体を動かしたり
外に出たりする
気力すらわかない時も
あります。
動くほど気持ちがつらく
しぼんでいってしまったり。


体と心の関係は面白いですね。
それはまるで双子のように、
あるいは左右の手袋のように、
対になって、ぴったり
背中合わせでくっついて、
互いに切り離せない
関係を築いている。


そういうことを
考えている時、
たまに水を注いだ
グラスをイメージします。


両方をいつまでも
綺麗に保っておくためには、
こまめに水を
取り替えなければならない。
グラスも洗っておかなくてはならない。


でもね、たまには
「汚くったっていいじゃん」
と思ったりもします。
あるいは「何がいけないの?」とか。
だって、人間だもの(byみつを)。
汚れることも
また自然なことだから。


不自然に隠したり、
いつも綺麗なふりをしたり。

そうすると水もグラスもきっと
余計に濁ってきてしまうから、
そんな時はただじっと
「汚れている」ことに
「気づく」ことが
大切だと思うのです。
気づいていれば、
元に戻れる。たぶん。
いつか、しかるべき時に
行動に移せるはずだから。


“ジャッジしない”ということが
とても大切になってきます。


常に前向きで、
ポジティブで、
明るくて、力強く。
そうである必要なんて
まったくないし、
できないけれど、
心の中のどこかに
「善きもの」を
信じている気持は
とても大切な気がします。


生きているのだから、
グラスも水もやっぱり
綺麗なほうが良いですよね。


それは自分のことだけでなく、
自分から広がって
少しずつ少しずつ、
小さくそして大きく、
周りへと広がっていく
ことのはずだと
信じています。


「心は、形あるものではなく
ただの現象」。

ヨガの勉強をしていて
最近覚えた言葉です。
体のことだけでなく
心も整えてくれるから
ヨガは楽しい。
ヨガは奥深い。
…なんか、熱心な
新興宗教信者みたいに
なってしまったけれど。


いや、でも大事なことです。
“心”という名の、ただの現象に
惑わされないように。
どうぞ振り回されないように。


私のグラスと水は、
今どんな状態なのだろう。
そして、あなたのグラスと水は
今どんな状態なのでしょう。


とても難しいし、もしかしたら
一生できないことかも
しれないけれど、
少しずつ、少しずつ練習をして
自分の持つグラスと水を
なるべくいつまでも
綺麗に保てるよう、
そして汚れたらすぐに
取り替えられるように
なれると良いですよね。


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