『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

最近のヨガ近況③

立春が過ぎ、少しずつ暖かい日が増えてきました。いかがお過ごしでしょうか。

 

昨晩、東北を中心にまたもやあの東日本大地震を思わせるような大きな揺れがあり恐々としましたが、お住まいの地域は大丈夫だったでしょうか。

被害が少なく済むことを心より願います。

 

さて、突然ですが、話題を変えて最近のヨガのことを少し。

だいぶ生活も落ち着いて、ヨガマットの上に座っていられる時間が増えてきました。

 

2016年から、その日に行ったヨガを記録する「ヨガノート」を付けているのですが、今年は(先月に更新した前回のブログにも書きましたが)300日以上ヨガをするのを目標に頑張っています(ちなみに昨年は153日)。

 

だいたい行うのは就寝前が多いです。

マットを広げて胡座(あぐら)で座り、最初に瞑想を5分してから軽くストレッチをします。

太陽礼拝を1セットした後、その日の気分やコンディションでだいたい3〜5ポーズ取って、最後にシャヴァーサナ(死人のポーズ)5分でお休みを取って終了、という流れがだいたいのルーティンなのですが、まったく気が乗らない時は1ポーズだけで終わらせてしまったり、瞑想もただじっと座っていること自体が苦痛な時もあるので、そういう時は無理せず早めに切り上げたりするようにしています。

 

とにかく今は心地良いと思う範囲で続けること。

マットの上に出来るだけいられるようにすること。

そうしてそれを習慣化させること。

 

均整の取れた身体のしなやかさとか、健全な精神とか、ヨガに求めたいことはたくさんあるけれど、そういうものはきっと続けた先にあるものだと思うので、今は「続けること」。

ただその一点に集中してヨガをするようにしています。

とはいえ本当にゆるゆるマイペースなので、ヨガを本格的に頑張っていた4〜5年前の身体と心に戻すにはまだ長い時間がかかりそうですが…(体重も10kg近く増えてしまってトホホですが)、でもまあ過去に囚われてばかりいても仕方がないですものね。

前向きに、ぼちぼちやっていこうと思っています。

 

とにかく5分でも、3分でも。

1ポーズからでもいい。

瞑想だけでもいい。

続けていけたら、きっとまた自分なりのヨガが見えてくるはず。

そう信じてコツコツと自分なりのヨガライフ、これからも楽しく積み重ねてゆきたいです。

それでは、また。

 

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写真はヨガとは全く関係ない、チョコケーキ。

太るわけですわ。

でも美味しかったので、そしてバースデーだったので、それで良しとする(・∀・)

 

 

 

 

コンニチハ、2021年

随分なスロースタートになってしまいましたが、明けましたね2021年。

今年もよろしくお願いします。

ところでどのようなお正月を過ごされたでしょうか。

私は親戚への挨拶にも行かず、初詣にも出掛けず、気づいたら通常運転…という、なんとも味気ないお正月でした。コロナの心配もあるし、まぁ仕方ないのかな、という感じでしょうか。

 

早くこのコロナ騒ぎが終息して、落ち着いて気兼ねなく友人と会ったり食事をしたり好きな場所に出掛けたりすることができるようになることを願うばかりです。

「健康」という言葉の重みとありがたさをこれほど感じることになるなんて、これまで思ってもみませんでした。

 

ネットで繋がっている方の中にも陽性反応が出たり濃厚接触者になってしまった方などもいて気を揉んでいましたが、幸いにもどちらの方も大事には至らずホッとしているところです。

それでもニュースを見ていると感染者はジワジワと増え続けているので怖いし油断は大敵。

うがい、手洗い、マスク。

出来ることは限られているし、もっとやらなきゃいけないことや注意することなどもあるのかもしれないけれど、とりあえず今はこれらを徹底して、十分に、用心しながら過ごしていきましょうね。

 

さてコロナの話題はここまでにして。

新年らしい話題をひとつ。

手帳を新調しました。

昨年使っていたものよりもやや大きめの、たくさん書き込めるスペースがあるものを選びました。

これにその日の出来事や思ったことを記したり、その日に取ったアーサナを記録するヨガ日記をしたためるようにしています。

昨年は首や足の不調で1年の半分もヨガができなかったのですが今年からは一念発起。

目標を300日以上にして、ヨガに励めるといいなぁと思っています。

うぉぉー、ついに書いてしまった。

これでもう後戻りできませんね。

なんとしても実行せねば。ガンバリマス。

以上、今年の抱負でした(遅い)。

あなたは今年の抱負、何かもう決まっていますか?

 

それはさておき。

色々なところで書かれていることなのでご存知の方はたくさんいるかもしれませんが、昨年の12月22日から200年以上に及んだ"地の時代"というパラダイムシフトが終わり、新たに"風の時代"というものが到来しているのだそうです。

パラダイムシフトとは、その時代においての価値観や認識の大きな変化のこと。

 

風の時代の到来により、組織→個人、固定→流動、所有→共有、縦の人間関係→横の人間関係など、物質的な豊かさや安定の時代が変化して、情報や体験など目に見えない豊かさやネットワークの広がりが大切にされる、とのこと。

 

大きな流れの変化がここにも来ているのだなぁと、なんだかしみじみしてしまいました。

取り残されず、無事について行けるのでしょうか、私。なんだか不安しかない。。

それでも。良いことが少しでも起きるように小さな種まきを少しずつしてゆければ、と思っています。

 

と、なんやかや色々書き散らかしてまとまりがありませんが、今回はここまでに。

新年なので新しいことにちなんだ話題を書いてみました。

 

それでは、また。

 

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サヨナラ、2020年

今年もまた、1年が暮れようとしています。

たった1日日付が変わるだけで空気や瞬間までもがガラリと変わるなんて、毎年思うけどやっぱり大晦日やお正月って不思議なものですね。

 

2020年の漢字は「密」でしたが、あなたにとってこの一年はどんな年だったでしょう。

私にとって今年は、窓辺に置かれた植物のような1年でした。

人の動き、季節のうつろい、起こるニュース、そんな全てを家の窓ガラス越しにただじっと静かに見つめているような感じでした。

とくに頑張ったこともなく、何かに抗うこともなく、流れにまかされるがまま淡々と日々を過ごしてきたような気がします。

 

頑張ったこともなく、と書きましたがこのブログだけは、もちろん楽しみつつというのもありますが、頑張って毎月アップするのを目標に書きました。

1月だけ抜けてしまったのが残念ですが、ほぼほぼ達成出来たことに満足しています。

読んでくださった方、ありがとうございました。大変励みになりました。

 

来年はもう少しアグレッシブに、窓辺の植物ではなく庭先のハーブぐらいランクアップできたら良いなぁとは思っているものの、さてさてどうなるか。

あまり張り切りすぎず、気負わなさすぎず、でもちょっとだけ気力を出して、ゆるゆるやっていけたら良いなぁと考えています。

自分のことばかりに終始しているこの頃ですが、もう少し何か良いものを転がせるような記事が書けるよう心がけたいです。

 

それでは、今年1年大変お世話になりました。

2021年の皆様の健康とご多幸を、心より願って。

 

 

 

SNSの恩恵

ソーシャルネットワーキングサービス。略してSNS。登録された利用者同士が交流できるwebサイトの会員制サービスのこと。

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私がSNSというものを始めたのはもう10年以上前で、mixi(ミクシィ)というSNSが最初でした。

 

初めは独り言のような拙い日記を公開するだけでしたが、それを読んでコメントを付けてもらえたり、プロフィール文を読んで趣味が近い方々とメッセージのやり取りをしたりするのがとても嬉しく、また楽しいものでした。

 

そこから更に交流が深まって実際に会ったり、文通をしたり、ちょっとしたプレゼントを贈ったりしたこともありました。頻繁に、ではなくごくたまにですが。

もうmixiは退会してしまったけれど、それからなんとなくの流れでTwitter,Facebook,instagram,note,などなどに手をつけ始め、現在に至ります。

 

SNSを始めたことによって私の中の世界は扉がガラリと開かれ、大きく変わりました。

SNSをしていなければ出会えなかったはずの方々と出会い、出会えたことでそこからさらに世界は広がり、それまで知らなかった音楽を知り、映画を知り、街や店を知り、見えなかった風景を見ることができました。自分の作ったささやかな制作物を購入していただいたこともありました。

事件やトラブルの要因になるとして、SNSを警戒したり蔑視するような報道をたまに見るけれど、私にとっては多くの恩恵をもたらしてくれた善きもので、今も大切なツールとなっています。

 

とはいえたまにネット疲れしてしまう時もあり、そういう時は「もういっそ全部やめてしまおうか」と思うこともあるのですが、しばらくしてほとぼりが冷めるとやっぱりいつものようにスマホを握りしめては画面を開き、タイムラインを追っていたりするのでした。

(もしかしてこれはただのネット依存症なのかしら…)。

 

たぶんSNSは今の私を形作っている30〜40%は占めていて、それを思うとありがたいなぁというのと同時にこれからもSNSで繋がったご縁は大事にしていかねばならないなぁとあらためて思います。

出会いかたが違うだけで、リアルもネットも一緒ですね。

そこには人がいて、想いがあって。

そういうものを忘れずに、大切に、これからも付き合ってゆきたいです。

 

SNS、あなたにとってはどんな存在でしょうか。願わくばどうか「善きもの」でありますように。

どうぞ上手く付き合って、充実した生活時間を築いてゆくことが出来ますように。自戒も込めて。

 

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【創作】ハロウィンの夜

カボチャのランタンを窓辺に飾り終わると、もう結構な時間になっていたので、夕飯はあらかじめ用意していたライスと作りおきのシチューだけで済ますことにした。

1人の食卓になってもうすぐ1年になろうとしている。が、気楽さには慣れたものの寂しさには相変わらずまだ慣れないままでいる。

 

せめて、とマチルダは思った。

せめて家の中に猫か犬でもいてくれれば違っていたかもしれないのに、と。

 

1人息子のジョシーが独立し結婚して家を出てからというものこの5年、夫のトーマスと2人で静かに暮らしてきた。

ささやかながらも幸せで、穏やかな時間に満ちた夫との生活。それがこんなにもあっけなく終わってしまうなんて思いもしなかった。

 

今も折にふれ涙が滲んでしまうけれど、毎日泣き暮らしていた一時期に比べればだいぶましになった。

あの頃は心配したジョシーが毎晩電話をかけてくれたし、近所に住む友人のエイミーも頻繁に様子を見に来てくれていた。

そして何より、時間が解決してくれた。

思い出は決して無くならないけれど、悲しみはきちんと少しずつ癒えるものなのだということをマチルダは身をもって実感した。

 

それでも。

窓の外の薄闇に視線を移しながら彼女は思う。

空には丸い月がぽっかりと浮かび優しい光を投げかけている。

それでも寂しいわ、トーマス。

こんなハロウィンの夜に、一緒に素敵な満月を見ることももう出来ないなんて。

いっそのこと、亡霊でもいいからここに現れてくれればいいのに。

 

と、その時ー。

コン、コンコン。

ノックの音が聞こえてマチルダは小さく飛びのいた。

ドキドキしながら、そしてこわごわと「どちらさま?」と聞き、ゆっくりとドアを押し開けると。

 

「お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」

サングラスにブラックスーツでキメたリトルギャングがそこに立っていた。

「まぁ、ポール!」

孫のポールだった。

オモチャの銃をカチカチいわせながらこちらに向けて遊んでいる。

めったに会えない可愛い孫が、今、目の前に立っている。

後ろにはジョシー夫婦も立っていて、私たちの様子をにこやかに眺めていた。

「ハロウィンだからね。遊びに来たよ」

 

息子一家の突然の来訪に驚きつつ、マチルダは彼らとの久々の再会を喜んだ。

ドアを大きく開けて彼らを招き入れながら

「大したものはないけれど、お昼に焼いたパイがあるわ。さあ、入って」と言った。

 

トーマスは来てくれなかったけれど、その代わりジョシーたちを連れて来てくれたのかもしれない。私が寂しくないように。

少し大きくなったポールの頭に優しく手を置きながらマチルダはそんなことを考えた。

 

窓辺に置いたカボチャのランタンの灯が一瞬大きく燃え、また元に戻り部屋を暖かく照らした。

 

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自分だけの毛布

蝉の声がいつの間にやら涼しい虫の音に変わり、毎年恒例の栗ご飯を今年も無事にいただいて、いよいよ秋がやって来ました。

そちらはお変わりありませんか?

風に乗ってかすかに金木犀の香りも漂うようになりました。

こちらは相変わらずです。

飲んでいる薬の副作用のせいか寝ていることが多いですが、夕方のウォーキングや毎晩のヨガなど少しずつ出来ることも増えてきたように感じています。

 

ところで先日SNSを覗いていたら、こんな言葉に出会いました。

〝あなたは生きてるだけでエライ”

今日やらなくてはならなかったことが何一つ出来なかったとしても落ち込まないで。だってあなたは生きているのだから。それだけで価値のあることなのだから。

…と、そんな意味合いのことがそこには綴られていました。

そして、その文章を読んだ時、背中からそっと誰かに毛布を掛けてもらえたような、とても温かな気持ちになることができました。

 

実際、家庭や会社にいて何もせずにいたら、家族には責められるだろうし、会社の上司や同僚からは怒られるでしょう。

思うように動けなかった理由を上手く説明出来なくて周囲に理解してもらえず、自己嫌悪に陥ってしまうことだってあります。

 

でも、そういう時、自分自身を見離さず「生きているだけで偉いね、よしよし」もしくは「生きているだけマシじゃないか自分!よくやってる」という言葉をかけて、毛布のように自分を優しく包み込んであげられたなら、ちょっとだけ心に救いができると思うのです。

 

なかなか難しいけれど、自分だけは自分の毛布でいてあげられますように。

自分自身に言い聞かせつつ、これを読んだ誰かの胸に幾らかでも響くことを願って、今回はここまで。

大丈夫。私も、あなたも、生きているだけでエライのです(って、あまり何度も主張しているとへんな宗教に思われちゃうかしら…)。

 

気温がぐっと下がってきたのでコロナも含めお身体どうぞご自愛してお過ごしくださいね。

それでは、また。

 

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虫とアヒンサー

ヨガにはポーズや呼吸や瞑想を含む「八支則」という8つのステップがあり、それらを段階的に学んでいくことで些細なことでは波立たない穏やかな心と身体を手に入れることが出来るとされていますが、その八支則の最初のステップであるヤマ(禁戒)の第一に掲げられているのがアヒンサー(非暴力)です。

 

ちなみに、殺したり暴力をふるうのはもちろん他者を悪く思う思考の暴力や苦痛を与えることもまたアヒンサーとされています。

 

さて、ところで。

夏になって虫の季節が到来しました。

蚊、蛾、クモ、ハエ、ゴキブリ、ムカデ、ナメクジ、etc. …。

様々な虫と家の中で遭遇する機会が増えて、悲鳴を上げながらそれら虫たちと格闘する機会も増えました。

虫が得意な人なんてそうそういないと思うけど私はとくに虫嫌い&虫苦手人間。

アヒンサーの教えが頭の片隅を一瞬よぎる時はあるものの、そんなことを言っていたら我が家は虫の巣窟になってしまうよ!

…というわけで心を鬼にして、というかほぼ頭で考えるより手が瞬時に動き、それらの虫を叩いたり潰したり殺虫剤を使って退治するわけなのですが、やっぱりなんとなく後味が悪いというか、ごめんね、という気持ちになってしまうのです。

先日、室内でゴキブリを見かけて撲殺ののち水葬(シャワーで排水溝に流した)した時もそうで、ほっとしたのと同時に、悪く思わないでおくれ…と心の中で声を掛けながらその末路を見届けたのでした。

 

そんな私がいつかさらりと虫たちを自然に放つアヒンサーの境地にたどり着くことはできるのだろうか。

いや多分ずっと無理…と思いながら、今は虫たちの亡骸を処理しながら心の中で合掌出来るようになっただけでも大きな進歩と思うようにしているのでした。

 

小さな命も私たちと等分であることを忘れないようにこれからは過ごしていきたいものですね。家で見つけた害虫は、やっぱり退治しちゃうけど。