『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

ままならないこと

ある無名兵士の詩


A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

「悩める人々への銘」


I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...


「大きなことを成し遂げるために 
強さを与えてほしいと神に求めたのに 
謙遜を学ぶように 弱さを授かった」


I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...


「偉大なことができるようにと 
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った」


I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...


「幸せになろうとして 富を求めたのに
 賢明であるようにと 貧困を授かった」

I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...


「世の人々の称賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
 得意にならないようにと 失敗を授かった」

I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...


「人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
 あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった」


I got nothing that I asked for―but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!


「求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて
聞き届けられた 私はもっとも豊かに祝福されたのだ」


                  AUTHOR UNKNOWN(作者不詳)


※引用元url http://www.geocities.jp/nkkagosu100/page014.html


今教わっているヨガの先生が
進行性のがんにかかっている、
というのを知ったのは昨年秋のことでした。

婦人科検診の際に判明したそうです。


10月のリトリート初日の夕食時に
それは告げられて、でも緊急の手術を
要するものではないし何事もなければ
TTに支障はないはずだから、と
先生は落ち着いた声で淡々と
語っていたけれど私たちは心配で、
かといって何ができるということもなく、
時折病状や体の様子を尋ねては
心の中でエールを送り、
見守る日々が続いていました。


先生はいくらか痩せて体力的に
きつい日もあったようだけれど、
TTの講義とレッスンは休みなく開催され、
12月には私たち誰一人
欠けることなく修了生となることが
できました。


年が明けて2017年、先月のこと。
レッスン前、先生がニコニコ
しながら言いました。


「こないだ検診に行ったらね、
がん細胞、きれいに消えて
なくなっちゃってた」。


小さなどよめきと歓声が
その場で上がったのは、
言うまでもありません。


そんなことって、あるの?
いったい、どうやって?


通院していたがんセンターでも、
それは前例のない初めての
症例だったらしいです。
あまりに突然に、そして綺麗さっぱり
がん細胞がなくなっているものだから、
何かの間違いじゃないかと疑った
担当医に強制的に再検査の予定を
入れられちゃった、と先生は
笑いながら言うのでした。
そして、こう続けました。
「一番大事なのはね、気持ちだよ」と。


もちろん気持ちだけでは
どうにもならないことだってあるし、
今回の発病で先生なりに病院での
治療のほか食事や民間療法やそのほか
最良と思える方法をいろいろ
取り入れてきた結果ではあるのだけど

①なるべく落ち込まないようにする
②今の状況を冷静に受け入れる
③自分が今できる最大限の努力をする


この3つがとても大きいことだった、
と先生は教えてくれました。
そして、それにはヨガとヨガの呼吸法も
とても有効なものだった、とも。


体が多少きつくても動いたり
人と話している方が落ち込みも少ないし、
暗い気持ちは余計に細胞を
がん化させて良くないからね、と
レッスンのたびに明るく話していた
先生を思い出し、あらためて
「ああ、ほんとうにそうなのだなぁ」と
思うのでした。


心って大きい。
気の持ちようで体はこんなにも変化する。


大病から奇跡的に復活…という話は
テレビや本でたまに耳にはするけれど、
実際に身近でも起こり得ることなんだなぁ、と
驚きとともにただただ感心した出来事でした。


そして、先生のがんのことを思うと
直接には関係ないかもしれないけれど、
冒頭に掲げた『無名兵士の詩』が
ふっと頭をよぎるのでした。
この詩を知ったのは今年に入って
すぐのこと。
教えてくれたのはヨガ仲間の一人です。
ニューヨーク大学の壁に
掲げられているもので、140年前に
南北戦争に従軍した兵士が記したと
いわれているそう。
日本でも新聞に紹介されて
大きな反響があったのだとか。


ままならないこと。
それは世の中に、人生に、
たくさん溢れているけれど、
あきらめなければそれ以上に
大きなギフトはきっとある。
学ぶべきこともきっとある。
この詩と先生の病気のことで、
そんなことを教えられた
ような気がするのでした。


「人生を楽しむために 
 あらゆるものを求めたのに
 あらゆるものをいつくしむために
 人生を授かった」


それが良いことなのか悪いことなのか、
たまにわからなくなる時もあるけれど、
とにかくまぁ、授かったからには
きっと意味はあるわけで、
だから大切にしていこうね、と
ささやかに、けれど強く思う3月の夜です。