『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

弱さを出す強さについて

人はなぜか
自分の弱いところや
ダメな部分を
隠したがるクセがあります。

逆に誰かにつつかれるのが怖くて、
そうなる前に
ものすごく露悪的に
なってしまったり。

嫌われたくない、
みっともないところを
見せたくない。
つい、そんな意識が
働いてしまいます。

「人に嫌われたくない」
「みっともない自分を
見せたくない」という意識は
自分を高める原動力に
なる時もあるけれど、
たいていは
重しのように苦しいです。

思い描いている自分と、
実際の自分とのギャップ。
つい見られたくない自分を
そっとベールに隠したり、
先手を打って
防御してしまいます。

でもある日、
まわりを見ていて、
そんなに気負うことも
ないのかなぁと
思うようになりました。

駄目な時は、駄目な時。
駄目な自分も、愛しき自分。
けして過剰に露悪的に
なるのではなく、
自分の弱さを
出してゆくことも
ある種の強さなのではないか、と。

それは、自分以外の誰かを
信用することだから。
「どう思われても構わない」
という心の強さの証明だから。
そしてたぶん、さらけ出せてしまうほうが
自分もきっと「楽」なのです。

それは自分が逆の立場になって、
誰かのそんな部分を
目の当たりにしても
たいして気にならないし、
むしろ「ああ、みんな
同じなんだ」「この人はこうなのだ」と
納得して、安心することのほうが
多いということに
気づいたからかもしれません。

本当の気持ちを無視して
むやみに自分を鼓舞したり、
もしくは苦しいからといって
つらいことを簡単に
投げ出してしまったりせず、
上手く折り合い付けながら、
そして上手く外に吐き出しながら、
理想の自分に近づけるように
ゆっくり進んでいけたらいいと、
今はそんなふうに思います。

ヨガのTTも後期に入り、
急に難しく出来ないアサナも
増えてきました。
自分なんてもう無理だと、
なんだか妙にいじけたり
滅入ったりしていたここ最近。

そんな自分を見せたくなくて、
不安やいらだちを
あまり出さずにいたけれど、
隠していたことで
その気持ちが大きく
抱えきれないものに
なってしまったので
ある時から思考を変えて、
少し小出しにしてみる
ことにしました。
いろいろな人にちょこちょこと。
冗談めかして軽い調子で。

そうすると不思議なもので、
少しずつ気持ちが
軽くなっていきました。

「やらなきゃ上はないのだ」と
頭に何度言い聞かせても
納得できなかったことが、
ようやく心の腑に落ちて、
やっとスランプから抜けました。

たぶん落ち込みは
またすぐにやって来て、
その度にがっくりするのだろうけど、
弱さは強さでもあるのだと、
頭と心に叩き込み、
小さく拳を握っている今です。

外に出してしまうことで
気持ちが軽くなったり、
冷静に自分の「今」を
見つめたり変えられる
きっかけが出来ることも
あるものですね。

そうして、
そんな自分を「出す」ことは、
ある意味勇気が必要ですし、
それは強さにも繋がることだと
思うのです。

全てを丸ごと出すというのとは
ちょっとわけが違うのですが、
でも出してしまうことで
「保たれる」部分があるということ、
それもまた強さなのだと、
そんなことに気づいたここ最近です。

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