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『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

小さな最善

秋の長雨が続いています。
そして、歩いていると
いつのまにか金木犀が
ふっと香るようになりました。

なんとなく脱力して、
部屋で猫を抱いたり、
好きな音楽をかけながら
まどろみたくなる午後です。


でも、平日の昼日中、
そんなことができる人は
世の中にたぶんそんなには
多くなくて、そして、
そんな人たちのおかげで
今日も世界は動いている、
何かが生み出されている。
そんな気がしています。
良いことも、悪いことも、
悲しいことも、嬉しいことも。


先日、ケント・キースという人の
『逆説の10カ条』という言葉に
出会いました。
ケント・M・キース - Wikipedia


これ、マザー・テレサの言葉だと
思っていたら、元はこの方の言葉
だったのですね。
10カ条の最後の一文、
とくにこの言葉がとりわけ好きです。

世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。


私は、世界のために
大きな「何か」をしている
わけではありません。
役に立っているというよりは、
ほとんど何も貢献していない
かもしれない。


それでも、生きて、何かを見て、
聞いて、考えて、ごく身近で
大切な誰かや何かを愛しながら
生きていくことは、ささやかな
善きものをきっと生み出している、
自分なりの「最善」なのだと、
そんなふうに信じます。


そして、今もしあなたが
休んだり動けない状態で、
自分のことを歯痒く
思っていたとしても、
あなたが見つめたり
耳を澄まして飛び込んできたものは
きっとあなたの中に「何か」を
生み出しているし、
それがいつか世界に飛び出す時の
原動力になるのだと思います。


できる時に、できることを。
そしてなるべくならば、
小さくても善いことを。
ケント・キースさんの言葉を読みながら、あらためて心にとどめておきたいと思ったのでした。


雨、どうやら上がったようです。

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『流しのしたの骨』 そして読書についてのこと

流しのしたの骨、というタイトルの
江國香織さんの小説を、
このところまた本棚から
引っぱり出して読み返している
ところです。


表紙はくたびれて、
中のページもすっかり茶色く
変色しているけれど、
そこもまた愛おしく、
ふっと思い出しては手を伸ばし、
つい眺めてしまいます。
そしてそれはなぜか、
今ぐらいの季節のことが多いです。
晩秋から翌春にかけての季節を
描いている小説だからでしょうか。


お父さんと、お母さんと、
2人の姉と、こと子と、
小さい弟(といっても15歳)の律。
物語は6人家族の宮坂家を中心に、
三女・こと子の視点で描かれてゆきます。


何度も読んでいるので、
全てを通しで読むことは
今はしていません。
時々ふっと手を伸ばし、
ぱらぱらとページをめくり、
その時止まった手の箇所を
そっと読み、また棚に戻します。
どの箇所をひらいても、その時の
季節の色や匂いや最初に読んだ時の
読後感などが懐かしく思い出されて
甦る、とても味わい深い小説です。


中でもとくに好きなのが、
わりと冒頭で描かれる秋のシーン。
お母さんがこと子に言いつけて、
もみじと紅葉した葉っぱを
たくさん用意しに行かせるところです。


それは、秋の食卓を彩るための演出
なのですが、こと子はそれを
少し疎ましく思っています。
たぶん、内心めんどうくさいなぁと
思いながら。
でも母には何も言わず、
ちゃんと集めてくる。


もみじはさんまの塩焼きに
添えられて “ぎたり” とはりつき、
紅葉した葉っぱはオーブンで
焼いた秋野菜が乗った大皿の下に
どっさりと敷きつめられたりしています。
お母さんはそれを「秋のごちそう」と形容し、
弟の律は「野趣あふれている」と合わせ、
お父さんと、こと子は無言。
このシーンが、何とも言えず好きなのです。


なんで好きなのか、
あらためて考えたことも
なかったけれど、
たぶんそれはお母さんが
「季節」や「生活」を心から愛して
楽しんでいるから、なのだと思います。
そして、それぞれ内心に
思うところはありながら、
家族がそれにきちんと
付き合ってあげているところも
なんだかいいな、と思うのでした。


野趣あふれる秋の食卓、いいですね。
テーブルの真ん中に落ち葉をどっさり、は
さすがにハードルが高いけれど、
もみじを1枚、さんまの塩焼きに
添えるというのはぜひ一度
取り入れてみたい、というのが
この小説を読んでから、ずっと
うっすら憧れていることです。
でも、簡単そうで、なかなか
しないものだなぁとも思ってみたり。


ところで最近は本の読み方が、
以前と少し変わったなぁと思うのでした。
前はいろんな作家さんの、
いろんな作品をもっともっと…と
手当たり次第に読んだものだけれど、
今はどちらかというと、これ!と決めた
作家さんや好きな作品を
深く掘り下げて読むような、
そんな読書をするようになりました。


たぶんある程度の年齢になって、
そんなにあれこれ頭に入るほどの
容量は持ち合わせていませんよ、
ということなのかもしれないけれど、
それはそれで、
1つの作品とじっくり長く
向き合うということは、
誰かと長く落ち着いた関係を
築いていけるような、
酸いも甘いも噛み分けた、
これぞ大人の読書なのかも!と
一人悦に入っている最近です。


何度読み返しても楽しめる本が
自分の手元にあるということは、
なかなかに幸せなことですね。
読書が深まる秋も、もうすぐそこ。
あなたは何を読みますか?
そして今は、どんな本を読んでいますか?



流しのしたの骨 (新潮文庫)

弱さを出す強さについて

人はなぜか
自分の弱いところや
ダメな部分を
隠したがるクセがあります。

逆に誰かにつつかれるのが怖くて、
そうなる前に
ものすごく露悪的に
なってしまったり。

嫌われたくない、
みっともないところを
見せたくない。
つい、そんな意識が
働いてしまいます。

「人に嫌われたくない」
「みっともない自分を
見せたくない」という意識は
自分を高める原動力に
なる時もあるけれど、
たいていは
重しのように苦しいです。

思い描いている自分と、
実際の自分とのギャップ。
つい見られたくない自分を
そっとベールに隠したり、
先手を打って
防御してしまいます。

でもある日、
まわりを見ていて、
そんなに気負うことも
ないのかなぁと
思うようになりました。

駄目な時は、駄目な時。
駄目な自分も、愛しき自分。
けして過剰に露悪的に
なるのではなく、
自分の弱さを
出してゆくことも
ある種の強さなのではないか、と。

それは、自分以外の誰かを
信用することだから。
「どう思われても構わない」
という心の強さの証明だから。
そしてたぶん、さらけ出せてしまうほうが
自分もきっと「楽」なのです。

それは自分が逆の立場になって、
誰かのそんな部分を
目の当たりにしても
たいして気にならないし、
むしろ「ああ、みんな
同じなんだ」「この人はこうなのだ」と
納得して、安心することのほうが
多いということに
気づいたからかもしれません。

本当の気持ちを無視して
むやみに自分を鼓舞したり、
もしくは苦しいからといって
つらいことを簡単に
投げ出してしまったりせず、
上手く折り合い付けながら、
そして上手く外に吐き出しながら、
理想の自分に近づけるように
ゆっくり進んでいけたらいいと、
今はそんなふうに思います。

ヨガのTTも後期に入り、
急に難しく出来ないアサナも
増えてきました。
自分なんてもう無理だと、
なんだか妙にいじけたり
滅入ったりしていたここ最近。

そんな自分を見せたくなくて、
不安やいらだちを
あまり出さずにいたけれど、
隠していたことで
その気持ちが大きく
抱えきれないものに
なってしまったので
ある時から思考を変えて、
少し小出しにしてみる
ことにしました。
いろいろな人にちょこちょこと。
冗談めかして軽い調子で。

そうすると不思議なもので、
少しずつ気持ちが
軽くなっていきました。

「やらなきゃ上はないのだ」と
頭に何度言い聞かせても
納得できなかったことが、
ようやく心の腑に落ちて、
やっとスランプから抜けました。

たぶん落ち込みは
またすぐにやって来て、
その度にがっくりするのだろうけど、
弱さは強さでもあるのだと、
頭と心に叩き込み、
小さく拳を握っている今です。

外に出してしまうことで
気持ちが軽くなったり、
冷静に自分の「今」を
見つめたり変えられる
きっかけが出来ることも
あるものですね。

そうして、
そんな自分を「出す」ことは、
ある意味勇気が必要ですし、
それは強さにも繋がることだと
思うのです。

全てを丸ごと出すというのとは
ちょっとわけが違うのですが、
でも出してしまうことで
「保たれる」部分があるということ、
それもまた強さなのだと、
そんなことに気づいたここ最近です。

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めがね 【映画】

青空を横切って、
ある日、海辺の町に
飛行機がやって来ます。


毎年その季節になると、
その飛行機を心待ちに
している人たちがいて、
小さなペンション
「ハマダ」を舞台に
物語は進んでゆきます。


主要登場人物たちは、
なぜか全員めがねです。
特別なことは何も起こりません。


食べて、飲んで、何かを作り、
朝にはみんなでメルシー体操。
時々ふっとたそがれる。
時間はほどけ、
ゆるゆると脱力して
流れてゆきます。


退屈そう、と思う人も
いるかもしれません。
でも、贅沢な景色と音楽と
自分の中に固まっている「何か」が
じわじわと溶け出して
流れていくような心地良さと
不思議さがこの作品にはあります。


春が設定ではあるけれど、
個人的には夏の映画。


暑さでぼんやりした午後に。
少しゆるりとしたい時に。
心に滋養がじっくり、じっくり
沁み込んでゆく映画です。

「大切なのは、焦らないこと」。

もたいまさこさん演じるさくらが小豆を煮ながら言うシーン。
台詞に重みがあって、
とても良いです。

めがね(3枚組) [DVD]


映画データ
【めがね】
公開:2007年/日本
監督:荻上(おぎがみ)直子
出演:小林聡美もたいまさこ光石研市川実日子加瀬亮 ほか

zinphony,そして欽ちゃん名言のこと。

今回は少し内容を変えて、
私の先日の活動のご報告。


ちょっと前になりますが、
6月25日(土)26日(日)と
高崎で開催のzinphony
(ジンフォニー)という
イベントに参加させてもらいました。

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“zine”は magazine の zine。
出版社ではない、個人が出す
インディペンデントな
小冊子を展示販売するイベントです。


私は、noteという場所
ミッチェル (mitchell_orange)|note)に
投稿してきた短歌と詩を中心に
『いつかの水と月の夜』という
タイトルの作品集を出しました。
雨や紫陽花をテーマにした
未発表作3点を加えた計25作品です。

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構成、レイアウト、内容の加筆修正、
素材選び、地道な製本作業、etc.…と、
不器用な私にとっては
「あわわ」と「うぎゃぎゃ」を
何回も繰り返し叫んでしまう
大変さもありましたが、それ以上に
すべて1人で決めてそれが徐々に
思い通りの形になっていく
楽しさと面白さを味わえる、
とても貴重で愛しい時間でした。

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当日の展示会場はこんな感じ。
初日は23:00までの開催。
お酒の提供もありということで、
かなり盛り上がったようです。

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※写真はzinphony様HP(ZINPHONY)より拝借

滞留はほとんどしていなかったけど、
会場には魅力的なzineが
たくさん並んでいて、
私も何冊か購入。
数名のクリエイターの方々と
お話する機会もあって、
大変刺激を受けたひと時でした。


次回開催予定は
年末か年明けとのこと。
新たな創作意欲を掻き立てられる、
とても楽しいイベントでした。
会場となった同じビル内に
レコードと雑貨を置いた
マニアックお洒落カフェを
発見したのも今回の収穫
(店主さんも、とても可愛い)。


そして、zinphony以外の場所でも
日ごろSNSで親交のある方、
実際にご縁のある顔見知りの方、
偶然に出会えた方など、
どれいっちょ読んだるか、と
心優しく私のzineおよび
zine電子版を手にとって
お読みくださる機会があり、
本当に嬉しかったです。
この場を借りてあらためてお礼まで。
ありがとうございました。
zinphony終了後、zineを快く置かせてくれた骨董カフェLENONさんにも心からの感謝を。


さらに驚いたのは、作者の
私以上に作品を大事に読んで
くれた方々がいたこと。
私が意図したものよりも、
もっともっと深く踏み込んで
丁寧に解釈をしてくれていて、
涙が出そうになるくらい
感激したのでした。


「たった1人でも
応援してくれる人がいれば、
あなたは成功する」。
これは後日のワインバーにての
打ち上げで、最近親しくしている
ある方に教えてもらった言葉です。


実はこの言葉、伝説の
コメディアン・萩本欽一氏に
まつわるエピソード名言らしく
(詳しくはwikiページで。来歴・人物の章。萩本欽一 - Wikipedia
感銘を受けすぎて、
その人が自分の家族に話したら、
それもう3度目だよって
言われてしまったのだとか。
そんなエピソードも、
楽しく笑って教えてくれました。


だから数なんて関係なく、
あなたやあなたの創るものを
評価してくれる人を大事に
しなくちゃいけないよ、と
その人はさらに大切なことを
私に教えてくれました。
本当に、本当にそう。
口当たりの良い辛口の
白を飲みながら、
私も心から思ったのでした。


自分にとって“成功”とは、
どんなものなのか。
それはまだまだ未知数で、
定まってもいないけど、
お金や成果に関係なく、
かといって自己満足では終わらない、
できれば何か良いものを、
自分以外の誰かに残せたら、と
そんなふうに思います。


それと同時に、
自分が出したものにきちんと
目を留め心を込めて評価して
くれたことに対しても、
感謝を忘れてはいけないな、
とあらためて思うのでした。

モーメント

先日「モーメント」
について教わりました。
とある日曜日の午後、
ヨガの解剖学クラスでのことです。

簡単に説明するとそれは
“回転能力の大きさを表す量”
のことで
“定点からの位置ベクトルと、
着目する物理量とのベクトル積”
で求められるものなのだそうですが、
まったくもってなんのこっちゃ、ですね。
そう感じるのは私だけでしょうか。

実はモーメントって
高校の物理の授業で
習うらしいのですが、
さっぱり記憶にありません。
おかしい。
高校は、ちゃんと卒業したはずなのに…。

そして昔から理数系が苦手で
理解力の遅い私は、
その時にもらったテキストを
読んでいてもいまだに
よく分かりません(汗)。

要はヨガのアサナ(ポーズ)を
取る時に、身体のどこが
支点になっていて、
その支点からどのような向きで
どのくらい力が出ているか、
それを意識することが大事なんだよ、とそんな意味合いのことでした。
ざっくりしすぎていてすみません。

そしてその「モーメント」を
意識することで
「アサナはとても安定したものになる」と先生は教えてくれました。

モーメントについて触れたのは
たった数分の短い時間
だったのですが、その
「モーメントを意識すると
アサナが安定する」
という言葉は、私の頭と胸に
なぜだかいつまでも
小さな光のように
消えずに残っていたのでした。

まるで何かのシグナルのように。
大事な何かに行き着くための
重要なサインのように。

今、自分の出している
力の向きは、正しいか。
そしてその力の大きさもまた、
正しいものであるかどうか。

ヨガのアサナに限ったことではなく、
ふとした瞬間何かにぶつかった時、
これを考えてみることで
自分を自制してくれるような、
正しい道に導いてくれるような、
そんな大事な言葉を
もらったような気がしたのでした。

私のモーメントは、
今どんな状態なのだろう。
そしてどんな向きに、
どんな大きさで働いているのだろう。
そして、あなたは。

ちなみに。
モーメントには「瞬間」とか
「きっかけ」という意味も
あるのだとか。

自分含め、これを読まれた
あなたにとって、
自分の力の向きとその大きさを
ふと考えてみる瞬間、
そして良いきっかけであることを願いつつ、今日はこれで終わりにしたいと思います。

今、あなたの力の向きは、正しいですか?
そして、力の大きさは、どうですか?



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カイロの紫のバラ【映画】 ~冴えないけれど、それなりに愛しい日々~

色々なことが重なってなんだかうまくいかないなぁという時があって、そんな時はこの『カイロの紫のバラ』のことをふっ、とよく思い出します。

1930年代のアメリカ。
パッとしない人生の中で、映画だけが唯一の希望のように生きている女性、セシリアが主人公です。

レストランのウエイトレスとして働く主婦のセシリア。
お皿は割る、お客のオーダーは間違える、店長からは毎日ガミガミ叱られる、家に帰れば不況のせいにして働かない夫がいて、大酒を飲んだりお金をせびったり浮気をしたりする。散々な日々を送っています。

でも、映画があるから、元気になれる。
映画があるから、日常に戻っていける。
くたくたに疲れていても、ボロボロに泣けてきても、映画館で過ごす時間さえあれば、なんとかやり過ごすことができる。

ある日、町の映画館で『カイロの紫のバラ』という映画が封切られます。
愛と冒険に満ちた華やかでロマンチックな世界に、セシリアは夢中になってしまいます。
2度、3度と足を運んでいたある日、映画スクリーンの中から冒険家トム・バクスターが飛び出して来てこう言います。
「君を好きになってしまった」。

奇想天外で、でも最後はちょっとだけ切ないラブコメディです。
セシリア役のミア・ファローの、楚々とした、そしてスクリーンを見つめながら徐々に変化していく表情だけの演技がなんとも素晴らしい作品です。

ウディ・アレン監督の、こうした市井のパッとしない人々を時に明るく、時にユーモラスに描き出すやさしい眼差しにも、とてもほっこりとしてしまいます。

映画やドラマや小説のように、人生はうまくいかない。でもそれなりに、愛しい日常ではあるわけで。

うまく折り合いつけながら。
時にはちょっと休んだりして。

なんとか踏ん張って生きていこうよ、とこの映画はそんなことをやさしく語りかけてくれているような気がします。


映画データ
カイロの紫のバラ

公開 1985年/アメリカ
 (日本公開 1986年)
監督:ウディ・アレン
出演:ミア・ファロージェフ・ダニエルズ 他
 


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