『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

「めがね 」

青空を横切って、
ある日、海辺の町に
飛行機がやって来ます。


毎年その季節になると、
その飛行機を心待ちに
している人たちがいて、
小さなペンション
「ハマダ」を舞台に
物語は進んでゆきます。


主要登場人物たちは、
なぜか全員めがねです。
特別なことは何も起こりません。


食べて、飲んで、何かを作り、
朝にはみんなでメルシー体操。
時々ふっとたそがれる。
時間はほどけ、
ゆるゆると脱力して
流れてゆきます。


退屈そう、と思う人も
いるかもしれません。
でも、贅沢な景色と音楽と
自分の中に固まっている「何か」が
じわじわと溶け出して
流れていくような心地良さと
不思議さがこの作品にはあります。


春が設定ではあるけれど、
個人的には夏の映画。


暑さでぼんやりした午後に。
少しゆるりとしたい時に。
心に滋養がじっくり、じっくり
沁み込んでゆく映画です。

「大切なのは、焦らないこと」。

もたいまさこさん演じるさくらが小豆を煮ながら言うシーン。
台詞に重みがあって、
とても良いです。

めがね(3枚組) [DVD]


映画データ
【めがね】
公開:2007年/日本
監督:荻上(おぎがみ)直子
出演:小林聡美もたいまさこ光石研市川実日子加瀬亮 ほか

zinphony、欽ちゃん名言

今回は少し内容を変えて、
私の先日の活動のご報告。


ちょっと前になりますが、
6月25日(土)26日(日)と
高崎で開催のzinphony
(ジンフォニー)という
イベントに参加させてもらいました。

“zine”は magazine の zine。
出版社ではない、個人が出す
インディペンデントな
小冊子を展示販売するイベントです。


私は、noteという場所
ミッチェル|note)に
投稿してきた短歌と詩を中心に
『いつかの水と月の夜』という
タイトルの作品集を出しました。
雨や紫陽花をテーマにした
未発表作3点を加えた計25作品です。


構成、レイアウト、内容の加筆修正、
素材選び、地道な製本作業、etc.…と、
不器用な私にとっては
「あわわ」と「うぎゃぎゃ」を
何回も繰り返し叫んでしまう
大変さもありましたが、それ以上に
すべて1人で決めてそれが徐々に
思い通りの形になっていく
楽しさと面白さを味わえる、
とても貴重で愛しい時間でした。



当日の展示会場はこんな感じ。
初日は23:00までの開催。
お酒の提供もありということで、
かなり盛り上がったようです。


 
※写真はzinphony様HP(ZINPHONY)より拝借

滞留はほとんどしていなかったけど、
会場には魅力的なzineが
たくさん並んでいて、
私も何冊か購入。
数名のクリエイターの方々と
お話する機会もあって、
大変刺激を受けたひと時でした。


次回開催予定は
年末か年明けとのこと。
新たな創作意欲を掻き立てられる、
とても楽しいイベントでした。
会場となった同じビル内に
レコードと雑貨を置いた
マニアックお洒落カフェを
発見したのも今回の収穫
(店主さんも、とても可愛い)。


そして、zinphony以外の場所でも
日ごろSNSで親交のある方、
実際にご縁のある顔見知りの方、
偶然に出会えた方など、
どれいっちょ読んだるか、と
心優しく私のzineおよび
zine電子版を手にとって
お読みくださる機会があり、
本当に嬉しかったです。
この場を借りてあらためてお礼まで。
ありがとうございました。
zinphony終了後、zineを快く置かせてくれた骨董カフェLENONさんにも心からの感謝を。


さらに驚いたのは、作者の
私以上に作品を大事に読んで
くれた方々がいたこと。
私が意図したものよりも、
もっともっと深く踏み込んで
丁寧に解釈をしてくれていて、
涙が出そうになるくらい
感激したのでした。


「たった1人でも
応援してくれる人がいれば、
あなたは成功する」。
これは後日のワインバーにての
打ち上げで、最近親しくしている
ある方に教えてもらった言葉です。


実はこの言葉、伝説の
コメディアン・萩本欽一氏に
まつわるエピソード名言らしく
(詳しくはwikiページで。来歴・人物の章。萩本欽一 - Wikipedia
感銘を受けすぎて、
その人が自分の家族に話したら、
それもう3度目だよって
言われてしまったのだとか。
そんなエピソードも、
楽しく笑って教えてくれました。


だから数なんて関係なく、
あなたやあなたの創るものを
評価してくれる人を大事に
しなくちゃいけないよ、と
その人はさらに大切なことを
私に教えてくれました。
本当に、本当にそう。
口当たりの良い辛口の
白を飲みながら、
私も心から思ったのでした。


自分にとって“成功”とは、
どんなものなのか。
それはまだまだ未知数で、
定まってもいないけど、
お金や成果に関係なく、
かといって自己満足では終わらない、
できれば何か良いものを、
自分以外の誰かに残せたら、と
そんなふうに思います。


それと同時に、
自分が出したものにきちんと
目を留め心を込めて評価して
くれたことに対しても、
感謝を忘れてはいけないな、
とあらためて思うのでした。

モーメント

先日「モーメント」
について教わりました。
とある日曜日の午後、
ヨガの解剖学クラスでのことです。

簡単に説明するとそれは
“回転能力の大きさを表す量”
のことで
“定点からの位置ベクトルと、
着目する物理量とのベクトル積”
で求められるものなのだそうですが、
まったくもってなんのこっちゃ、ですね。
そう感じるのは私だけでしょうか。

実はモーメントって
高校の物理の授業で
習うらしいのですが、
さっぱり記憶にありません。
おかしい。
高校は、ちゃんと卒業したはずなのに…。

そして昔から理数系が苦手で
理解力の遅い私は、
その時にもらったテキストを
読んでいてもいまだに
よく分かりません(汗)。

要はヨガのアサナ(ポーズ)を
取る時に、身体のどこが
支点になっていて、
その支点からどのような向きで
どのくらい力が出ているか、
それを意識することが大事なんだよ、とそんな意味合いのことでした。
ざっくりしすぎていてすみません。

そしてその「モーメント」を
意識することで
「アサナはとても安定したものになる」と先生は教えてくれました。

モーメントについて触れたのは
たった数分の短い時間
だったのですが、その
「モーメントを意識すると
アサナが安定する」
という言葉は、私の頭と胸に
なぜだかいつまでも
小さな光のように
消えずに残っていたのでした。

まるで何かのシグナルのように。
大事な何かに行き着くための
重要なサインのように。

今、自分の出している
力の向きは、正しいか。
そしてその力の大きさもまた、
正しいものであるかどうか。

ヨガのアサナに限ったことではなく、
ふとした瞬間何かにぶつかった時、
これを考えてみることで
自分を自制してくれるような、
正しい道に導いてくれるような、
そんな大事な言葉を
もらったような気がしたのでした。

私のモーメントは、
今どんな状態なのだろう。
そしてどんな向きに、
どんな大きさで働いているのだろう。
そして、あなたは。

ちなみに。
モーメントには「瞬間」とか
「きっかけ」という意味も
あるのだとか。

自分含め、これを読まれた
あなたにとって、
自分の力の向きとその大きさを
ふと考えてみる瞬間、
そして良いきっかけであることを願いつつ、今日はこれで終わりにしたいと思います。

今、あなたの力の向きは、正しいですか?
そして、力の大きさは、どうですか?



「カイロの紫のバラ」

色々なことが重なってなんだかうまくいかないなぁという時があって、そんな時はこの『カイロの紫のバラ』のことをふっ、とよく思い出します。

1930年代のアメリカ。
パッとしない人生の中で、映画だけが唯一の希望のように生きている女性、セシリアが主人公です。

レストランのウエイトレスとして働く主婦のセシリア。
お皿は割る、お客のオーダーは間違える、店長からは毎日ガミガミ叱られる、家に帰れば不況のせいにして働かない夫がいて、大酒を飲んだりお金をせびったり浮気をしたりする。散々な日々を送っています。

でも、映画があるから、元気になれる。
映画があるから、日常に戻っていける。
くたくたに疲れていても、ボロボロに泣けてきても、映画館で過ごす時間さえあれば、なんとかやり過ごすことができる。

ある日、町の映画館で『カイロの紫のバラ』という映画が封切られます。
愛と冒険に満ちた華やかでロマンチックな世界に、セシリアは夢中になってしまいます。
2度、3度と足を運んでいたある日、映画スクリーンの中から冒険家トム・バクスターが飛び出して来てこう言います。
「君を好きになってしまった」。

奇想天外で、でも最後はちょっとだけ切ないラブコメディです。
セシリア役のミア・ファローの、楚々とした、そしてスクリーンを見つめながら徐々に変化していく表情だけの演技がなんとも素晴らしい作品です。

ウディ・アレン監督の、こうした市井のパッとしない人々を時に明るく、時にユーモラスに描き出すやさしい眼差しにも、とてもほっこりとしてしまいます。

映画やドラマや小説のように、人生はうまくいかない。でもそれなりに、愛しい日常ではあるわけで。

うまく折り合いつけながら。
時にはちょっと休んだりして。

なんとか踏ん張って生きていこうよ、とこの映画はそんなことをやさしく語りかけてくれているような気がします。


映画データ
カイロの紫のバラ

公開 1985年/アメリ
 (日本公開 1986年)
監督:ウディ・アレン
出演:ミア・ファロージェフ・ダニエルズ 他
 


心意気から伝わるもの

カーネリアンという石の
アクセサリーと出会いました。

5月の始めのころのことです。

こっくりと深く落ち着いた
オレンジ色となめらかな石肌は、
見ているとバタースカッチの
ようにおいしそうで美しく、
首にかけるたび、つい
うっとり眺めてしまいます。

ちなみにこのカーネリアン、
達成したい目標や新しく
始めたい物事がある時に
迷いや不安を取り除き、
勇気を与えてくれるのだとか。

今やすっかりお気に入りで、
毎日のヨガの練習や大切な日に
この石を身に付けて過ごしています。

また、SNSを通じて知った
お店の方も親切で感じ良く、
とても好感が持てました。

今回のカーネリアンは
インドで見つけた石であること、
蝋引きの紐を使用したマクラメ編みで
作られていること、1点1点が手作りで
あることなどなど、丁寧に
商品説明をしてくれたし、
何より幾度かのメッセージの
やり取りの中で石への愛と
自社製品への自信がたっぷりと
そこに感じられたのでした。


* * * * * * * *


そして、それにほどなく
近い別のある日。

この4月に開店したばかりの
新しいワインバーに行きました。
葡萄やグラスや太陽など
ワインに関するシンボルマークを
背景に、店名の入った白い
ワインボトルがくっきりと
浮かび上がる、そんな可愛い
看板が目印のお店です。

県内初のヴァン・ナチュール
(化学肥料や農薬を使用しないで
作るワイン)のお店ということで、
そこに住む県民としては
そのお店に行くことを以前から
とても楽しみにしていました。

私はワインに詳しいわけでは
ないし、知識も全くありません。
でも、美しいグラスに注がれた
ワインが舌を滑り、喉を通り、
体内に落ちていくごとに
身体中の細胞がいっせいに
喜ぶのを感じました。
おいしい、おいしい、
何かが違う!と。

余計なものが取り払われ、
原点に回帰した自然のワインと、
それを作り出す人たちの
愛情と時間。
そんなものを思いながら
味わうと、それはいっそう
愛しく貴重で、滋味深いものでした。

地元の食材を積極的に取り入れ
丹精込めて作られたお料理も、
その丁寧な仕事ぶりがちゃんと
伝わる美味しさで、
やはりおいしい、おいしい!と
身体中の細胞から
嬉しさの泡がぷつぷつと
立ち上っていったのでした。

最近出会ってとくに
嬉しかったものだけを
取り上げてみましたが、
よくよく目をこらして
ぐるり辺りを見渡すと、
心意気のある本当に
良いものだけを作る人、
それを扱うお店などは
意外にたくさん身近に
あることに気づきます。
それは服飾品や食べ物だけでなく、
芸術作品や生活用品など、
多岐にわたり。

作り手が本当に心を込めて
作ったものって、受け取り手
にもちゃんと伝わります。
魂が、伝染するとでも
言うのでしょうか。
それは理屈でなく、
本能でわかるのです。
「うん、これは確かに良い!」と。
身体中の感覚で、びびびびびっ、と。

そして、魂と愛情と心意気で
作られたそれらは、受け取り手側をも
確実に変化させます。
たとえば、高くて素晴らしい
包丁を手に入れた料理人が、
この包丁に恥じないだけの
一流の料理人になるぞ、と
思うように。
綺麗で美しい洋服を手に入れた
人が、その服に見合うだけの
美しい自分でいる努力を
しよう、と決意するように。
美味しいものは体をより
健やかにしてくれるし、
パワーの込められたものは
それを持つ人に元気を
与えてくれます。

内面から滲み出るものが
外面を変化させていくように、
誰かが作り出した丁寧なもので
外面から内面が変化する
こともあるものですね。

それが高いか安いか、
他人の評判の良し悪し、
そんなものに影響されず
きちんと自分に合っていて、
必要で良いものかどうか。
それを見極める感覚を
できるだけ失わないように
してゆきたいと思います。

そして、たくさんでなくていい、
自分をちゃんと引き上げたり
高めたりしてくれる心意気の
あるものだけが、
自分の傍にあってほしい。

最近の私は、そんなふうに
考えるようになりました。



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「レヴェナント」

人は、見(観)たり
聞(聴)いたりして
心に感じるものがあまりにも
大きすぎると言葉を失う
ものなのだということを
この映画を観ることで
久々に思い出しました。


圧倒的なまでに
すさまじい「生」が、
そこにはありました。
生きることの壮絶と激しさ。
厳しい自然と、そして
むごたらしいまでに
人間の持つ知性や理性を
綺麗さっぱり取り去った
人間の野生と本能が
ありました。


シンプルに説明してしまうと、
これは仲間の裏切りに遭って
息子を殺され、
森に1人取り残された
罠猟師のお話です。


でも、よくよく突き詰めていくと
その根底には小さな家族の
深い愛の物語が始まりに
あったのかもしれない、と
そんなことを観終わった後に
感じました。


激しく、生々しく、熾烈な
人間たちの行動と相対するように、
森や雪や川や風などの自然は
どこまでも厳然と
あるがままに存在し、
その対照がとても美しい映画です。


ラストの、
主人公ヒュー・グラスを
演じるディカプリオの
強い瞳がとても印象的でもありました。


その余韻をそのまま残しておきたくて、
エンドロールが終わりきらないうちに
暗い映画館をそっと後にした私。


とにかく「すごい映画」を
観てしまった。
それが一番の感想です。


ただし血や肉がこれでもか、と
いうほど出てくる映画でもあるので、
苦手な方は心して観たほうが
いいかもしれない、ということを
ここにつけ加えておきたいと思います。


「息をしろ。息をし続けろ」

この力強いセリフが
全てを物語っている。
そんなふうにも感じる作品です。




映画データ
【レヴェナント 蘇りし者】

公開:2015年 アメリ
(日本公開 2016年4月)

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトウ

出演:レオナルド・ディカプリオ(グラス)
  トム・ハーディ(フィッツジェラルド)
  ウィル・ポールター(ヘンリー隊長)
  ドーナル・グリーソン(ブリッジャー)
  フォレスト・グッドラック(グラスの息子)

食べる、という行為について

「食べる」ということに対して、
このところ以前より強く
意識をするようになりました。


今よりもう少し若かったころ、
学生時代や社会人になりたての時などは、
とくに何も考えず
好きなものを好きな時に
好きなだけ食べていました。


気にしていたことといったら
体重や体型のことぐらいで、
それがかえってストレスになって
余計に悪循環を生み出して
いた気がします。


そして、寂しい時や過度な
ストレスを感じた時などにも、
お腹は空いていないのに
詰め込むように物を食べて
しまうことがありました。


チョコレート1箱、
ロールケーキ1本、
あるいはお膳によそったご飯に
たっぷりの醤油マーガリン。
身体によくなさそうな質と量の
食事を、まるで何かの欠落を
埋めるように食べていました。
美味しさなんてほとんど感じず、
今思っても、あれはほんとうに
とても悲しい行為でした。


「食べたものが、体をつくる。
 食べたものが、心をつくる」

こんな言葉に出会ったのは、
ヨガを始めるようになった頃でした。
医食同源”という言葉を意識し始める
ようになったのも同じ頃。


そして、どうせ同じ食事を
摂るのなら、体にも心にも
良いものを選びたい、
そんなふうに考えるように
なりました。


ヨガをする人で、とくにそれを
人に教えたり指導する立場の
人たちは、肉や魚を食べない
もしくは控え目に摂取して
野菜を多く摂る、いわゆる
ヴィーガン”と呼ばれる人が
非常に多いです。
添加物や加工食品の類も
なるべく摂らないようにしています。


それは、ヨガでいう
“八支則”の中の
「アヒンサー(非暴力)」や
「アパリグラハ(不貪)」に
反するからでもあるし、
また身体の健康と純粋性を
保つためにはなるべく
自然で新鮮なものが
良いとされているからです。


これをサットバ(純質)といって、
サットバなものには
野菜・果物・豆類・乳製品・
精白されていないパンや
お米などなどが挙げられています。


ちなみにチョコレート・コーヒー・
紅茶・魚・卵はラジャス(激質)
といって、からだのみを養い
こころを波立たせるもの、
肉・アルコール・玉ねぎ・
ニンニク(匂いの強い野菜?)などは
タマス(鈍質)といって、
体も心も鈍らせてあまり良い
効果のない食べ物とされています。


ところで、こんなことを
つらつらと書いている私は
実際どうなのかというと、
ヨガ的な食事、ほとんど
まったく出来ていません。


肉も魚も卵も食べるし、
チョコレートを始めとした
スイーツ全般も大好きです。
アルコールも摂取します。
家族との兼ね合いもあるし、
なかなかある日突然
ヴィーガンな人に変貌
するのは難しいです。


ただ、意識するのと
しないのとでは大きく
違うようになりました。
食べ物を口に入れる前に、
これが自分のからだにとって
良質なものかどうか。
必要なものかどうか。
そんなことを考えるように
なってから、動けなくなるほど
食べ過ぎてしまうことは
ほとんどなくなりました。
万が一食べ過ぎることが
あったとしても、運動とか
節食でその後に調整する
ようになりました。


そして肉や魚や卵など、
とくに命を強く意識する
食べ物を前にした時は
その命に対して少し思いを
めぐらせるようになりました。
失われてしまったもの、
これから続いていくかも
しれなかったもの達について。
そうすると、自然に食べる量が
減ってきたような気がします。


あるいはもしかしたら、
重ねてきた年齢が関係して
いるだけなのかもしれませんが。
それでもともかく、
今の自分にとってこの食事の
質と量は本当に必要なものかどうか、
そんなことをちらり頭に
よぎらせるだけで、
食生活はだいぶ改善
されていったように感じます。


食事が変わると
体は確実に変わります。
言うまでもなく。
それは当たり前の
ことでもあるのですが。


そして
「体が変わると運も良くなる」
らしいです。
いつかのレッスンの、
いつかの先生の受け売り。


まずは体に良いもの、
自分が欲しているものを
バランスよく。
そして摂りすぎないように。
そんなところから、
始めていけたら良いと思います。


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【追記】
サットバ(純質)・
ラジャス(激質)・
タマス(鈍質)は
食だけではないですね。
人でも、物でも、何にでも。
それはすべてに当てはまり、
世界はそれで回っている。
そんなふうに感じています。