『転がる石の上機嫌』

転がって、転がって、小さな善きものがあなたに届けられますように。

祈り 【創作】

不安で眠れぬ夜を
確かに過ごしたはずなのに
命が消えてしまうかもしれない恐怖を
確かに味わったはずなのに
数年という歳月で
記憶は残れど
感覚は薄れ

幼きころに会った親戚が暮らし
会わなくなった友の故郷があり
縁(ゆかり)ない土地でもないはずのに
なぜか心はわずかしか揺れず
揺れないことに心が揺れる
役に立たないことを
あれこれ考え ふけゆく夜は
やがて  朝になる

無駄に頑張ろうと言う人がいる
「薄っぺらな善意が 何の役に立つ」
と言う人がいる

やたらに前向きな人がいる
妙に無関心な人がいる

募金を始める人がいる
それを見て苦笑する人がいる

着の身着のままで駆けつける人がいる
迷惑だから自己負担でという人がいる

わずかな生活用品を集めて送る人がいる
それを手間だと言う人がいる

慰めるために 詩を作る人がいる
そんなものが何の役に立つかと
見下す人がいる

一心に祈る人がいる
「祈るだけで何ができる」と
笑う人がいる

そんな
有象無象を
どこかの だれかが
上から そっと
静かに
ただ 静かに
眺めている

*  *  *  *  *

この詩は「note」という創作サイトに投稿させていただいたものです。
5年前の震災で受けた大きな傷が癒えきらぬまま、今年4月14日に熊本でまた大きな地震が起こりました。
テレビや新聞を見ていて感じたこと、またtwitterやその他SNSのタイムラインを眺めながら感じたことを詩という形にしてまとめました。

何のために…?
自分でも、よくわかりません。
でもとどめておきたかった。

この詩には続きがあります。
課金制(100円)にしてありますが、売上はすべて募金に充てさせていただいています。


祈り|ミッチェル

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選ぶ、ということについて

カード、というものが昔から好きです。

トランプ、タロット、オラクルカード。
そこには1枚1枚
美しい絵が描かれていて、
それぞれに意味があります。

そして、数ある中から1枚引くと、
必ずその時の自分の心にある何かに
ぴたり、と符合するものが
出てくるから面白い。

それは占いというよりも、
今の自分が一番必要としている
ものを自分自身で探し当てて
引っぱり出しているような感覚です。

そして最近、また新しい
カードを購入してしまいました。
「バガヴァッド・ギーターカード」
というものです。

ヨガの聖典である
「バガヴァッド・ギーター」の内容を
54枚のカードに表したもので、
絵柄も美しく、ヨガの勉強にもなります。

そして何よりも、ほかの
オラクルカードと同じく
その時の状況にあったものが
するり、と出てくるのが魅力です。

気づきだったり、学びだったり、
癒しだったり、叱咤だったり。

ヨガ指導者であり
ヨガ哲学研究家でもある
向井田みおさんが書かれた解説本も、
文章が分かり易くとても丁寧。

毎朝のヨガ前にさっと1枚
引いては解説本を読みながら
ふむふむと納得し、
練習に励んでいるここ数日です。

思うに“選ぶ”という行為は、
とても面白いですね。
何を食べるか、
どんなことをするか、
誰と会うか、何を着るか。

その選択が、その人の
1日を作り出していく。
そしてその1日1日の積み重ねが、
その人の人生を作り出していく。

そう考えると、小さいことでも
大きいことでも、馬鹿には
できないなと思います。
できるだけ真摯に、真剣に、
自分と向き合って、
内なる声に耳を傾けて
いきたいなと思います。

そして、今の自分にとって
最良のものを選び取っていきたい。
人であっても、物事であっても。
そんなふうに願います。

ちなみに。
今日引いたのは「プラサーダ」
というカードでした。

良いことも、悪いことも、全ては
世界からの贈り物であることを
示唆するこのカード。

良くないことがあったとしても、
そこから何を学ぶか、
どう生かしていくか。
そんな心構えひとつで
生き方や運命が大きく変わって
いくのだよ、ということが
カードの解説には書かれていて、
またしてもふむふむ…と読んだのでした。

家族。恋人。仕事。友人。
やりたいこと。やりたくないこと。

私たちは選んでいるようでいて、
実はただ世界から与えられて
いるだけなのかもしれないですね。

自分自身の、からだや命も含め。

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春熊 【創作】

あたたかな金曜日。

ぼくは用意したティーポットを
持って、近所の湖まで
散歩に出かけた。

湖畔には桜の木が
何本も植えられていて、
春になるとそれはもう、
うっとりしてしまうぐらい
美しいピンク色に染まるんだ。

ティーポットには
温かい黒糖入りの
ミルクティーが入っている。

それをこくり、こくりと
飲みながら、咲きだした桜を
ゆっくり愛でて
歩を進めていく。

今年も、咲いたなぁ。
当たり前のことを
思いながら。

ふと、ある桜の木の下の
大きな石が目に入った。

石の上には、なにやら
黒い物体が乗っかっている。
何だろう。近づいてみると、
それはクマだった。

クマが、大きな石に
腰かけている。
そして、哲学的な顔をして
一心不乱に湖を見つめている。

ぼくが驚いて凝視していると、
クマは僕に気がついてこう言った。

「やあ、君。今日は良い日和だね」

さらに続けて言う。
「桜もこうして咲いたことだし」

「今、生きる意味に
ついて考えていたんだ」

クマは聞いてもいない
ことを、自分からぺらぺらと喋る。

「たまにね、ふっとそんなことを
考えてしまう時があるんだよ。
熊にだってね」

少し喋りすぎたと感じたのか、
クマは照れ臭そうにふふっと
笑ってから言った。

「そんなことよりさ、
さっきパンケーキを焼いたんだ。
良かったら、一緒にどうだい?」

「ふかふかで、おいしいよ。
ぼくのはそんじょそこらの
やつよりよっぽど美味いって
仲間の間ではわりあい評判なんだ」

話しているうちに
味を思い出したのか、
クマはずんぐりした前脚の爪を
可愛らしくぺろっと舐めた。

悪いクマではなさそうだ。
じゃあ、せっかくなので
ご相伴に…そう言いかけた
ところで、強い風がぴゅうっ、
と吹いた。
桜の花びらが
ほんの少しだけ舞う。

一瞬だけつぶった目を
開けると、桜の木の下に
クマはもういなかった。

さっきクマが座っていた
大きな石の下には、黒々と
湿った土が広がっていて、
何かの食ベカスのような
ものがいくつか
こぼれているだけだった。

「…エイプリルフール」

ぼくは呟いて
黒糖ミルクティー
ごく、と飲んだ。
そして、また
ゆっくりと歩き始める。


春には、いろんな出来事が起こる。

グラスと水

「いったい体と心は
どちらが先なのだろう?」
というようなことを、
最近よく考えています。


たとえば
心身のバランスを崩して
なんとなく不調な時。
たとえば
何かをしようと思っても
あまり気力がなく
ぼんやりとしてしまう時。


ちょっと体を動かすと
嘘のように単純に
気持ちが引き上がることが
あります。


それとは反対に、
体を動かしたり
外に出たりする
気力すらわかない時も
あります。
動くほど気持ちがつらく
しぼんでいってしまったり。


体と心の関係は面白いですね。
それはまるで双子のように、
あるいは左右の手袋のように、
対になって、ぴったり
背中合わせでくっついて、
互いに切り離せない
関係を築いている。


そういうことを
考えている時、
たまに水を注いだ
グラスをイメージします。


両方をいつまでも
綺麗に保っておくためには、
こまめに水を
取り替えなければならない。
グラスも洗っておかなくてはならない。


でもね、たまには
「汚くったっていいじゃん」
と思ったりもします。
あるいは「何がいけないの?」とか。
だって、人間だもの(byみつを)。
汚れることも
また自然なことだから。


不自然に隠したり、
いつも綺麗なふりをしたり。

そうすると水もグラスもきっと
余計に濁ってきてしまうから、
そんな時はただじっと
「汚れている」ことに
「気づく」ことが
大切だと思うのです。
気づいていれば、
元に戻れる。たぶん。
いつか、しかるべき時に
行動に移せるはずだから。


“ジャッジしない”ということが
とても大切になってきます。


常に前向きで、
ポジティブで、
明るくて、力強く。
そうである必要なんて
まったくないし、
できないけれど、
心の中のどこかに
「善きもの」を
信じている気持は
とても大切な気がします。


生きているのだから、
グラスも水もやっぱり
綺麗なほうが良いですよね。


それは自分のことだけでなく、
自分から広がって
少しずつ少しずつ、
小さくそして大きく、
周りへと広がっていく
ことのはずだと
信じています。


「心は、形あるものではなく
ただの現象」。

ヨガの勉強をしていて
最近覚えた言葉です。
体のことだけでなく
心も整えてくれるから
ヨガは楽しい。
ヨガは奥深い。
…なんか、熱心な
新興宗教信者みたいに
なってしまったけれど。


いや、でも大事なことです。
“心”という名の、ただの現象に
惑わされないように。
どうぞ振り回されないように。


私のグラスと水は、
今どんな状態なのだろう。
そして、あなたのグラスと水は
今どんな状態なのでしょう。


とても難しいし、もしかしたら
一生できないことかも
しれないけれど、
少しずつ、少しずつ練習をして
自分の持つグラスと水を
なるべくいつまでも
綺麗に保てるよう、
そして汚れたらすぐに
取り替えられるように
なれると良いですよね。


https://www.instagram.com/p/BDAcRjKDTNO/

奇跡を信じたい瞬間に【音楽】

人は、皮や骨や血を取り除き
細胞レベルにまで分解していくと、
最後には音(震動)だけが残るのだそうです。


だから人間は自然に、本能的に、音楽を欲するのだと、
そんな話をいつか聞いたことがあります。
それが真実かそうじゃないかはともかくとして、
あぁだからか…とものすごい説得力で
心にすとんと落ちたのを覚えています。


経験として知っている事実。
そしてバイブレーションとリズム。
人は、音楽で出来ている。
何て素敵なのだろう、強くそう思ったのでした。


音楽にしてもその他のことにしても、
かなり雑食タイプである私は常日頃から
いろいろなジャンルの音楽を浅く広く
齧る程度に聴くのですが、まれに理屈抜きに
体温が1,2度上昇するような、
心臓が跳ね上がり、身体を流れている血が
一気にぞわっと波立つような、
そんな音楽に出会います。


Jackson Sistersの“Miracles”も
そんな曲のひとつ。
低く唸る一瞬のギター音から
スタートするファンキーな音楽と
I Believe in Miracles Baby …”と
彼女たち5人の息の合ったコーラスに、
初めて聴いた瞬間から雷に打たれたような
衝撃を受けたし、心臓を鷲掴みにされたものです。
それは折に触れて聴いている今でも
全く変わらないのがすごい。


CDプレイヤーを起動させ、その旋律が
空間に流れ出す瞬間から、強く、激しく、
熱いうねりとなって、身体の奥底にある「何か」を
奮い立たせてくれるのでした。
魂レベルで感応してしまう、まさにそんな曲。


何かを強く信じたい時に。
もしくは、これから起こる大きな
何かに身を委ねたい時に。
わくわくとドキドキを
自分の中に探している時に。


この曲はそんな時、とても有効で優良な
効き目を発揮してくれると思います。


ジャクソン・シスターズ

https://youtu.be/hBBzrHXu1Fg

「つきがいちばんちかづくよる」

寒い日が、続きますね。
こちらでも数日前に雪がたくさん積りました。


雪は、良いですね。
しん、とした静けさ。
真っ白な風景。
すべてが帳消しになって、
世界がまた最初から始まっていくような
そんな錯覚すら覚えます。


大人になるほど「朝の通勤」とか
「雪かき」なんてワードが頭の中に真っ先に
イメージされて、子どもの頃ほど
素直に喜べなかったりもしますが
それでも窓外の風景が一面真っ白なのを見ると
多少なりとも「おっ」と思うものがあったりします。


「今日も夜から雪が降るかもしれないよ」と
そんな声がちらほら聞こえていた昨日土曜日、
久しぶりにふと絵本が読みたくなって
図書館に行ってきました。


余白のある世界が好きで、
私は時々絵本を読みます。
文字が少ないから頭も疲れないし、
なんといっても色使いが美しい。
ページから溢れ出そうなぐらい
豊かな色彩を眺めているだけで
心がとても楽しくなります。


絵本棚の前を歩いていて、
そう何秒もしないうちに
ふっと目に入った本がありました。
やわらかな色彩のイラストも素敵だし
「つきがいちばんちかづくよる」
というタイトルも、とても良い。


黄色いチェックのシャツを着て
白いズボンを履いたおしゃれな黒猫が、
自分のためだけにとっておきの
場所を探し出すお話です。
みみのアンテナをぴん、と立てて。
ひげのアンテナぴぴん、と張って。


黒猫はひたすらにその場所を探します。
どこまでも歩きます。
ぴったりの場所が見つかるまで、妥協はしません。
どこまでもどこまでも探します。
そうしてついに、「あること」をするための
念願のベストスポットを探し当てます。


とても可愛いお話です。
そして、最後まで読むと
心がほくっと温まる。


こんなやわらかな心と視点で
世界をいつも眺められたらいいな。
そんなふうに思いました。


可愛い黒猫と同じように
自分の中のどこかにも
きっとアンテナはあるはずで、
だから、それをぴぴんと張って、歩き出そう。
心地良くいられる場所を探しに行こう。
そんなふうにも、また思ったのでした。



今夜は満月。
良い月が見れたら、黒猫さんのように
私もお願いしたいと思います。


「おつきさま おつきさま
きっと いいこと ありますように
みんなに すこしずつ ありますように」


つきが いちばん ちかづく よる (えほんのぼうけん (65))

「運命の恋人」

年が明けて、2016年になりました。
日々はあっという間に過ぎてゆきますね。
大事に大事に過ごしていこう、とますます強く思う最近です。


久しぶりに本のことでも…と思い
棚に視線を巡らせたところ、
ちょうど良い作品と目が合いました。
『おめでとう』というタイトルの短編集です。


出版年は2000年。
私が川上弘美さんという小説家を
好きになった、最初のきっかけの本です。


『運命の恋人』は、収められている
12の短編の中で11番目の作品になります。
恋人が突然桜の木のうろに棲み始める、という
ちょっと奇妙なところから話は始まってゆきます。
そして現実と非現実の分量と境目は少しずつ
ぐにゃり、とゆがみ面白く形を変えていきます。


うろに棲み始めた恋人には、
変化が見えるようになります。
少しずつ毛深くなったり、指と指の
間に綺麗な水かきができるようになったり。
でも主人公は、それを驚きもせずに
淡々と受け止めているのでした。


やがて別の男と結婚し、子どもができ、
子孫が1000人を数えるようになった頃、
彼女はふと昔の恋人を思い出し、
彼に会いに行きます。


かつて恋人同士だった2人の、
消えない灯のように強く
惹かれあっている関係性が、
さらりとユーモラスに描かれていて、
それがとても胸を打ち、
同時に気持ちをふんわりと
温めてくれるのでした。


運命の恋人。
時を経て、遠く違う場所にいても、
想っていられる人がいる。


そういう人が心の片隅に存在するということは、
それだけで人生の彩りが豊かに
なっていくことかもしれないですね。


12篇目の表題作『おめでとう』も
韻を踏んだ詩のような、
お正月らしくとても素敵な作品です。
少しだけ引用しますね。


“ おめでとう、とあなたは言いました。
おめでとう。まねして言いました。
それからまた少しぎゅっとしました。

 忘れないでいよう、とあなたが言いました。
何を、と聞きました。

 今のことを。今までのことを。これからのことを。
あなたは言いました。
忘れないのはむずかしいけれど、
忘れないようにしようとわたしも思いました ”


新しい一年が始まり、
寒い寒い日々がもう少しだけ続きます。
けれど心はできるだけぽかぽかでいたい。
できればあなたにもぽかぽかでいてほしい。
そんなふうに思う新春。
星が、とても綺麗な夜です。


おめでとう (新潮文庫)